続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

華ある人生。

2010-11-14 07:02:29 | 日常
 博物館の植物教室を受講している。いよいよ最終回の晩秋の花・・・来週には三崎口駅に集合し浜辺の植物観察をする。
 小さな頃から、花・・・植物には興味があった、興味というより自然に芽吹く不思議に胸をときめかせたのを記憶している。
 こうして相応の年齢になり、再び野に咲く花々に関心を持つことの楽しさを味わっているわたし。
 でも・・・事細かにその仕組みを知ろうというほどの意欲に欠けているので、馬堀自然教育園の講座では何となく劣等性気分。
 ところが隣席で親しくなったHさんの場合は少し違う。
 地元の自然保護、植物への深い関心・・・大体受講の態度が真摯・・・こういう人の近くにいるだけで何か怠惰な気持ちが洗われるような気がする。
 駅に向かう帰り道、彼女は、
「弟の嫁さん、つまり義妹なんだけど、弟が仕事の都合で海外出張が多くなったら、暇なもんだからまた大学で勉強を始めたの」
(・・・すごいわ!)
「で、わたしも、(定年)退職したでしょ、だから、出来ることは何でもやろうと思って」という。

 頭のいい家系・・・そういう人たちは常に学習意欲を放棄しないで前進あるのみなのだろうか。
 優等生的人生。
 見えない華を見て、ため息。

Re『武蔵野』109。

2010-11-14 06:49:56 | 国木田独歩
それが又た実に武蔵野に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道のような自然そのままの大原野大森林とは異ていて、その趣も特異である。

 又実武蔵野一種特色与自然生活北海道自然大原野大森林異趣特異

☆幽(死者の世界)に昵(慣れ親しむ)。
 無の像(すがた)が八(多く)溢れている。
 主(中心)を匿(隠している)私記。
 余(わたくし)は、字で念(思い)を、招(呼び寄せ)且つ、朴(ありのまま)の解を同じく要にしている。
 字への念(思い)が題(テーマ)である。
 言(言葉)は八(多く)のダイ(die)/死を審/つまびらかにする。
 燐(鬼火、死んだ人の魂)の、意(気持ち)の取得を為していく。

『城』275。

2010-11-14 06:30:14 | カフカ覚書
少年たちが塀に登りたがるのは、好奇心のためではなかった。

 少年たち/Jungen→Jung/新しい人。
 塀/mauer→meinung/意見、見解。
 登る/erklttern→erklaren/解説する、説明する。
 好奇心/Naugier→Norgelei/不平を言う。

☆新しい人たち(来世に来た、つまり、新しく死んだ人)が、見解を説明をする傾向は、不平を言うためではなかった。