続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

早朝散歩。

2012-09-07 06:51:06 | 日常
「早起きは三文の徳」という言葉も古び忘れがちだけど、早朝散歩の人たちの清々しい活気を目撃したりすると肯ける。
 初夏の頃なら午前四時は散歩の人たちで賑わいを見せるほどだと聞いたことがある。日の沈みかけた夕刻、あるいは夕食後らしい時間帯もまた散歩をする人を見かける。

 同じ時間帯に散歩する人たちには連帯感も生じ、自然に仲間意識で結ばれるらしい。隣家のお姉さん(三十年前からお姉さんなので相応の年令と思われる)は早朝散歩派らしく、わたしが目を覚ましかけた頃に玄関ドアに鍵を閉め、門扉のギィーッという音とともに足音を消していく。
 
「歩こう会」の仲間のOさんも早朝散歩は欠かさず、五千歩を慣行していると言っていた。


 縄跳びの輪に入る瞬間を狙うことが難しかったわたし、早朝散歩の仲間入りを果してみたいのだけどなかなか決心がつかない。 ブログと健康、さぁどっち?(健康でしょう)と思いながらも、パソコンの前に鎮座してしまう習慣を止められない。(パソコンなんて一日のうちいつだって出来るでしょ)そう自分に言い聞かせても、先ずブログの習慣を改めることができない。

 早朝散歩に強い憧れを抱いているのに、有言・・・不実行。
 もう少し先になったら・・・もう少し先は闇! 結局、目的もないのに(健康という最大の目的がある)歩くなんて!と、
どこかで厭う気持ちがあるから実行できないに違いない。

 ああ・・・、
 つくづく「歩こう会」に感謝、せめて「歩こう会」だけは!

『風の又三郎』434。

2012-09-07 06:28:10 | 宮沢賢治
昨日まで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしてゐた風が今朝は夜あけ方俄かに一斉に動き出してどんどんどんどんたすかろら海床の北のはじをめがけて行くことを考へますともう一郎は顔がほてり息もはあ、はあ、なって自分までが一緒に空を翔けて行くやうな気持ちになって胸を一ぱいはって息をふっと吹きました。

☆朔(月の第一日)の秘(秘密)を究/つきつめる也。
 弦の空/なにもない態(ありさま)を眺めると、封/閉じている。
 襟(心の中)の帳(ノート)也。
 法(手段)は我(わたくし)の溢(たくさん)の済(救い)の詞(言葉)による働きで遂している。
 解かることは証(ありのまま)の法(仏の道)であり、光の講(はなし)である。
 宇宙の信仰の則(道理)を字(文字)により部/区分けしている。
 逸/かくれている庶/もろもろは、空/見えない。
 照(光)の考えは記された字(文字)により経/常に変わらず、溢(あふれる)則(道理)であると推しはかられる。

『城』1026。

2012-09-07 06:08:20 | カフカ覚書
たとえばですね、ある問題が非常に長期にわたって検討されているような場合、検討がまだ終ってもいないのに、どこかある予測もつかない、あとからではもうさぐりだすことができないような場所で不意に稲妻のように決定がくだされ、それがたいていは正しいのですが、それでも勝手にこの問題にけりをつけてしまうというようなことが起りうるのです。

 場所/Stelle→Stellar/星、恒星。
 たいてい/sehr→Seher/予言者。

☆先祖の問題が予言者の長期にわたる検討がなされている場合、まだ終っていないのに予測もつかないあとからでは発見できないような星が不意に電光のように起きてしまうことがある。(解決すべき)問題は予言者には正しいのですが、任意で結論を出してしまうことがあるのです。