続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

にらめっこ。

2012-09-09 06:38:43 | 日常
 家事を主な仕事にする人間はいつも天気を気にしている。
 
「この空模様なら、布団も干せる」「雨が降りそうだから洗濯物は早めに取り込もう」など、お天気次第で家事の内容は動かされる。至近距離を自分の目で確認しているけれど、最近では予報も雲の流れや雨の状況など詳しく、それこそ十分間隔で報せてくれる。
 そうなると自分の目よりTVの予報に信頼性をおき、予報頼りに傾いてしまう。

 昨日の朝方は青空も見えていたので、布団を干した。ところが正午からは雨になるというTVの予報。暗雲広がり始めたのを見て、即、布団は取り込んでしまった。


 なのに、雨の一粒も落ちるどころか、猛暑、青空カンカン日照り。(それでも、TVの予報だもの、きっと、きっと降るに違いない!)


(約束したじゃない!降ってよ)というのも滑稽だけど、結局降らずじまい・・・。

 まぁ干しっぱなしで、濡れてしまうよりもましだと考えて溜飲を下げた。



 それにしても、洗濯物は外のベランダに干しっぱなしで雨に濡れても次には乾くだろうという楽観主義の息子の日常生活を聞くと(近くにいれば世話も焼けるのに・・・)と思う。二人の息子は母を避けがちな距離。雨なんかどうってことないのかもしれない。

 小心者のにらめっこ・・・洗濯物なんかどうでもいいや、という気分になってみたい。

『風の又三郎』436。

2012-09-09 06:21:19 | 宮沢賢治
一郎は急いで井戸からバケツに水を一ぱい汲んで台所をぐんぐん拭きました。それから金だらひを出して顔をぶるぶる洗ふと戸棚から冷たいごはんと味噌をだしてまるで夢中でざくざく喰べました。

☆宇宙を究/つきつめる意(こころ)の図りごとを推しはかる。
 溢れる救いが題(テーマ)の書を識(記録する)。
 魂(精神)の信仰を選ぶのは己(わたくし)の法(手段)である。
 霊や魅(もののけ)の甦りは無い。
 宙(そら)の自記である。

『城』1028。

2012-09-09 06:04:09 | カフカ覚書
むろん、奇跡が天から降ってきたわけじゃありません。いずれだれかある役人が決裁文書を作成したか、文書にしなくても、あおういう決定をくだしたに違いないのですが、どちらにせよ、すくなくともわれわれのほうから見ると、いや、役所から見てさえも、この場合決定をくだしたのはどの役人であるか、また、どういう理由からであるかということは、どうにも確かめようがありません。

 むろん/Naturlich・・・真の。
 役人/Beamt→beenden/終わりにする。Ende/死。
 文書/geschrieben・・・文章を書く。

☆真の奇跡ではありません。
 なにか先祖の死が(問題を)解決するために書いたのか、あるいは書かないまでも決定をくだしたのにちかいないのですが、どちらにせよ、少なくとも、われわれからすると、死はここでは自身の死ではありません。いかなる死も、死の決定をもち、理由があるのです。