続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

整理整頓。

2012-09-30 07:07:00 | 日常
 整理整頓が不得手である。

「見ないで捨てる」方式を採用しているわたし、でもさすがに処分の袋に入れる瞬間、要る、要らないで迷う。「ん?」は一時の迷い、捨ててしまえば思い出すことがない。思い出すことが出来ないと言ったほうがいいかもしれない。


 そんな風に、戸棚の中は空っぽ、風通しもよく、わたしの機嫌もすこぶる爽やか。・・けれど時は残酷、瞬く間(実際には数年)に物が積み重なっていく。下の物を取り出す時に上の物が崩れる、それを無理に押し込める。
 そうして再び「見ないで捨てる」方式を採用。


 若い頃は何であんなに色々なものを欲しがったのだろう。粗大ゴミで捨ててあった物でさえ左右を見渡し担いできたこともある。それも先日、南部処理場に座椅子や学習机などと一緒に処分したのだけれど・・。
 少しづつ、体力と根気と相談しながら捨てている。何でもパソコンで分かる時代、分厚い百科事典はもう要らない(と思う)。
 本棚を整理したときに辞典とハウツーもの(手工芸)それに辞書、カフカ・賢治全集(その他少々)以外はすべて処分したけど、又少し溜まってホコリも溜まる状態。この際百科事典も・・・うーん・・・。

 
《山頭火のごとく生きる》が理想なのにホコリにまみれている。
 箸と椀、それ以外に何が要るというの?

 
 ああ・・・。

 四十以上も実をつけたゴーヤのカーテン、台風が来る前にと思って片付けてしまった。清々と明るい日差し、秋である。

 人生も秋本番、執着・固執を捨て、身軽に行きたい。

『ひのきとひなげし』6。

2012-09-30 06:53:01 | 宮沢賢治
 ひなげしどもはそこですこうしづつしづまりました。東には大きな立派な雲の峰が少し青ざめて四つならんで立ちました。

☆等(平等)が題(テーマ)である。
 流/さまよい、破/これまでの状態を崩す、運(めぐりあわせ)。
 法(仏の道)の唱/となえる衝(要)は、死の律である。

『城』1049。

2012-09-30 06:25:22 | カフカ覚書
 ミッツィ夫人は、こちらへやってきて、ベットのへりに腰をかけ、大きな、元気にあふれた良人に身をすり寄せると、良人は、彼女を抱きかかえてやった。

 ベットのへり/Bettrand→Wett raudel/無縁、暴力。
 色がくすんで/grauer→Glube/信念。
 みすぼらしい/unscheinbarer→unschatzbar/評価できないほど大きい。

☆中道派は定住の人に対しては暴力とは無縁で、生命力あふれ元気だったが、人としての悩みが彼女(中道派)を包み込んでいた。それは、評価できないほど大きな信念だった。