続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『危機一髪の暗殺者』

2012-09-10 09:06:01 | 美術ノート
 マグリットの作品『危機一髪の暗殺者』(『脅された暗殺者』)

 暗殺者はどこ?危機一髪って何が?

 極めて静かな作品・・・なのに『危機一髪の暗殺者』
 暗殺というのは思想の違う相手を秘かに抹殺すること、登場人物が数人・・・。


 しかし、よく凝視すると、画の中心にいる男、若い女ざかりの女に背を向けている。ありえない無関心。
 関心はレコードから聞こえる音楽か・・・関心は外にあるということの暗示かもしれない。そして大きな鞄、鞄には書類、つまり仕事を離さない、仕事に密着、関心事は仕事である。

 この画の登場人物六人総てに於いて殺気という怖さはなく、まったくの平常心に見える。この画のなかに暗殺という狂気、危機一髪(脅されている)という切迫は探しても見えない。「無い」のに「在る」と言う、トリックという疑惑さえ沸く静けさ。


(画に見る条件)
 この男からは隠れて見えない二人の男、(反転するとほぼ等しく重なる)一人かもしれないし二人(複数)かもしれない。手にした棍棒、一方は網を手にしている。いかにも犯人を捕える風、あるいはこれから犯行に及ぼうとでもしている格好である。けれど、この男たちの眼差しは悪意というより恍惚としてぼんやりしている。殺意とは遠い眼差しである。
 しかし、熟慮すると、中心で何かに耳を傾けている男からは見えない立ち位置。(一見これから暗殺を行おうか、とも思えるポーズ、とすれば中心にいる男に対してと思えるが・・)

 中央に位置している若い男は若い女の裸体に興味も関心も示さず、音楽に耳を傾けている。(一見、検察官、刑事かとも思える冷静さ)
 この若い男には、前述の二人の男は見えない。背後にいる外の三人の酷似した男たちの視線も見えない。この男に限っていえば、この現場には死んでいるらしき若い女と自分がいるだけであるが、男は自分のみの世界に没頭している。

 ただ、三人の酷似した男たちはこの中央に位置している男の背中をしっかり見ている。口から血を流して死んでいるらしき女体を見ていない。(目を逸らしているともいえる)

 室内は殺風景で空虚、外の風は否応なく入り込む状況。カーテンもドアも家具もない。外には不毛の山々・・・。貧しいというのとは違う寒さ。


(この関係は何か?)

 結論から言えば、真ん中に描かれた男が「暗殺者」であり危機一髪な状況が仕組まれている。脅かされている状況はコートと帽子で隠れて見えない椅子の足(四本あるべきはずの鞄に近い一本)が欠けている、あるいはその危機を孕んでいるのではないかという憶測、蓄音機が置かれたテーブルの残りの二本の足が見えない、無いのかもしれない。あるいは、もちろん今現在は存在しているかもしれないが、崩壊の危機に瀕しているという暗示ではないかと思う。
 男の状況が音もなく崩れていく。(これは男の仕事や関心に対してというより「この微妙な状況を把握したゾ」という息子の観点であり告発を意味していると思う。沈黙の告発、静かなる憤怒である。)

 女は男(夫)の無関心に寒々とした絶望を感じ、他の男の罠、あるいは性的暴力に引っかかり、服毒自殺を図ったのではないか。赤いベットは情熱を暗示し、膝から下を下げた素足は横からの視点であって、上部から見れば足を広げていると思われる。
 まったく異なる関心事(思い、思想と言ってもいいかもしれない)をもつ相手を秘かに死に追いやった殺意無き暗殺者の無関心。
 その暗殺者は、テーブルの上に乗っている蓄音機(外への関心)や、コートや帽子(紳士としての装い)の乗った椅子(倒壊したなら当然仕事の詰まった鞄も倒れる方向に在る)が、今しも崩れ落ちるかもしれない危機的状況を知らない。目撃者である外の三人の男たちは息子ではないかと思う。女は暗殺者の妻であり、三人の男の母ではないか。

 凶器なき殺意なき悪意なき殺人、息子であるマグリットが暗殺者であると指差した父。若い女(妻であり母である)が死んだという事実以外は何もかも藪の中、この画も閉じられるべく左右の男たちは対称に描かれている。


 マグリットの暗黙の作為である。物理的犯行は存在していないが、秘かなる殺人だと暗黙裡に語る。
 すごい位置関係、饒舌でありながら沈黙しているマグリットの作り出した不気味な空間設定。すごい作家!!
(写真は「マグリット」西村書店刊より)

メンテナンス。

2012-09-10 06:21:46 | 日常
 膝痛・・・あきらかに強張り、歩き始めに抵抗がある。

 ずっと、そう、何年も同じ状態は続いていたけれど、日常生活において特別困るということはなかった。自分のペースで暮らせる老人生活、すでに切迫した仕事からは解放されているので、倹しくひっそり生きている限り、支障はなかった。
 少しばかりのストレス・・・このくらい何の事もないと、高をくくっていた。

 劣化の進行・・・一直線に向かうXデイは複雑な経路を辿る。昨日のまま今日突然Xデイは訪れない、ごくわずかの例外を除いては。

 今年に入ってからの、いわゆるびっこ状態・・・右足を引きずりながらの生活。きっと治る、治してみせると、何の根拠もないのにそう信じて二ヶ月あまり・・・歩行困難、脂汗・・・。

意を決して向かったクリニックで「整形の先生はお休みですので今月から来月まではやっておりません」とのこと。
《ええーっ!!》
 仕方ないのでバスで総合病院へ。ここでは痛み止めだけの処方、通院はなし・・・。
 やむなく通りがかりの接骨院へ、(あら不思議)帰宅はルンルン。

 六週間通い、「ではこれで」ということになった。
「・・・」完治というわけではない、やっぱり感じる不具合。

 結局、最初に尋ねたクリニックの整形再開を待って受診。
「貼り薬と飲み薬、どっちにしますか?」と、医師。
「(即効性の確実な)注射にしてください」と、頼み込んだ。


 メンテナンス・・・要メンテナンス、これしかない!
 手当て・・・少々手荒な手当てでも構わない、年配者の生きる道もそれなりに厳しいなんて初めて知ったわ。

『風の又三郎』437。

2012-09-10 06:13:41 | 宮沢賢治
「一郎、いまお汁できるから少し待ってだらよ。何して今朝そったに早く学校へ行がなぃやなぃがべ。」

☆宇宙は自由である。
 衝(重要なところ)は字(文字)が化/教え導く。
 襟(心の中)の死(丁は十干の第四→die、死)。
 総て合わせた考えの講(はなし)である。

『城』1029。

2012-09-10 05:55:22 | カフカ覚書
それを確認できるのは、監督局だけですが、それもずっとあとになってからの話です。しかし、それは、もうわれわれには知らされませんし、そのころには、ほとんどもうだれもこの問題に興味なんかもっていませんからね。

 (ほんとに)Erst→arrest/禁錮。
 ずっと/viel→fiel(fall,fallen)死ぬ。
 fest→Feste/要塞。

☆禁錮の支配である死、死んだ後の要塞、死ではない経験をするのです。それにしてもだれもこの問題に興味なんかもっていません。