続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

街に出れば・・・。

2014-06-08 06:53:05 | 日常
 トンボ玉教室に通って三回目、何となく手順は分かって来たものの、まだまだ不如意。
「違う違う、逆ですよ、何回言ったらわかるの」激が飛ぶ。

 今さらなんでこんな苦行を・・・と思いきや、

「いいねぇ、上手いよ。早いね上達が」上げたり下げたり、講師の手の中で右往左往しているわたし。
 それでも、そんなこんなで、先輩方ともお近づきに。

 ・・・Aさんの娘さんはノルウェー人と結婚したので、娘さんのお産の時には一ヶ月ほどあちらに滞在したという。
「娘さんも心強かったわね」
「いえ、わたしは何もしなかったの。だってね、婿さんが何でもしてしまうから・・・」
「何でもって?」
「何でも・・・。たとえば普通、オムツは女が取り替えるでしょう。でもね、わたしがやろうとすると『お義母さんは、オムツを取り替えたいですか?』って聞くのよ。『僕はやりたいので僕がやります』って。だから一ヶ月いたけど、何もお手伝いしなかったの」
「・・・」(すごいわ、凄すぎる、ノルウェー人ってそうなの? もしかして海外ではみんなそうなの?)


 オムツ替えはマイナーな仕事と考えがち、それを・・・絶句!
 赤ちゃんだから可愛いからというのでなく、大人(老人)のオムツ替えであっても、愛情溢れる気持ちでそういう仕事を《やりたいから、やります》というような人になれたら・・・。
 意識を変えること意識革命、革命は日常生活の中にも潜んでいる。

 誘われるままに参加しているトンボ玉教室、出かけていけば、そこかしこに生きるヒントが点在している。『書を捨て、街に出よう』は名言である。

『ポラーノの広場』361。

2014-06-08 06:44:24 | 宮沢賢治
 アーティストは、つめたい水でシャアシャアと私の頭を洗ひ時々は指で顔も拭ひました。

 水はスイと読んで、推。
 私はシと読んで、詞。
 頭はトウと読んで、套。
 洗ひはセンと読んで、潜。
 時々はジ・ジと読んで、二、事。
 指はシと読んで、試。
 顔はFace→Faith(信仰)
 拭ひましたはショクと読んで、触。


☆推しはかる詞(ことば)を套っている。
 潜(ひそむ)二つの事の試み、信仰に触れている。

『城』1647。

2014-06-08 06:06:06 | カフカ覚書
そろそろ床につく時間だった。みんなは、疲れきっていた。助手のひとりなどは、食事をしているあいだに眠りこんでしまっていた。もうひとりの助手は、それをひどくおもしろがって、Kとフリーダにこの眠っている男のまぬけ面を見てもらおうとしたが、この試みは、失敗におわった。



☆そろそろ永眠すべきだったが、すべての予言者は疲れていた。先祖の助手(脳、知覚)は試論(小論)に手厳しかった。一方の助手(脳、知覚)は、他の予言者に大群の永眠を望んだが、否定的なKとフリーダ(平和)がこの試みに成功することはなかった。