続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

楽しい造本づくり。

2014-06-28 06:42:07 | 日常
『かんたに出来る手作り造本講習会』横須賀三浦教育会館にてー10:00~12:00/根本義孝先生

 この記事を見て、即申し込んだ。絵本は夢の領域で、とても出来そうもない、それでも手掛かりとなる造本は是非作りたい!

(でも、二時間でできるの?)
「何かのキットを使うんですか?」と先生に質問。
「いえいえ、ぼくのは自己流でして、『ダンボールがあれば』という式です。じつはダンボールフェチでしてね、ダンボールを見ると楽しくて~」と、先生。(なんてステキな先生なんだ!)

「ぼくの作った造本が真ん中のテーブルに置いてありますから見てください。」
 なるほど、面白くて楽しい、アイデアいっぱいの造本の数々・・・(なんかすごく楽しそう~)
「抽象を描かれるんですか?」
「抽象でも具象でも彫刻でも何でもです」と、先生。

(何のこだわりもなくて、なんかすごくいいわぁ~)なんか笑いたくなっちゃう感じ。

 教えられるままに手を動かしていたら、あら不思議、何となくそれらしいものが完成。(十分ステキだし、簡素、素朴な雰囲気で、わたしの気持ちにぴったり!)

「中身は自分で作ってくださいね」と、先生。
(それが問題、でもきっと頑張ってみます!)

 根本義孝先生ありがとうございました。

『ポラーノの広場』380。

2014-06-28 06:27:10 | 宮沢賢治
向ふでもこっちでも、繃帯をしたり、きれを顔にあてたりしながら、まちの人たちが火をたいていました。

 向ふはコウと読んで、交。
 繃帯はホウ・タイと読んで、法、他意。
 顔はface→Faith(信仰)。
 人はジンと読んで、仁。
 火はカと読んで、果。


☆交(入り組む)法(仏の教え)の他意は、信仰であり、仁(博愛や同情の心)による果(結果、終末)である。

『城』1661。

2014-06-28 06:13:03 | カフカ覚書
ところが、それをあきらめても、なんの役にもたたなかった。そのとたんに、こんどはがちゃんという大きな物音が起こったのだ。というのは、運の悪いことに、昨夜の食事の残りを教卓から片づけておかなかったからである。おおな教師は、教卓のうえにあったものをことごとく定規で払いのけてしまった。なにもかも床のうえに吹っとんだ。


☆ところが、それをあきらめても、助けにはならなかった。そのとたんに、こんどは先祖の大きな騒ぎが起こったのだ。というのは、不運なことに、死の伝説(作り事)を読解するマイナス(負)を取り除けておかなかったからである。初心者は負であるなにもかもを血統と共に遠くに隔ててしまった。すべては現世のほうへ吹き飛んでいった。