続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

誤作動。

2014-06-22 06:58:25 | 日常
 昨日の「トンボ玉教室」に「歩こう会」のOさんが現れた。
 お昼の休憩は、Kさんとわたしと三人で食事。そのときの会話で彼女の驚くべき発言にドッキリ。


「どこも悪い所なんてないのよ、だからわたしは今日だって浦賀からここ衣笠まで歩いて来たわ。山へ行こうとしたら怪しい雲行きだから、迷ってトンボ玉教室に来たのよ」と涼しい顔。
 お気楽な極楽トンボ、我道を行くという彼女を見ていると羨ましい。

「この前なんか朝の五時に家を出て、昼過ぎの二時まで山越え野越えで三万歩も歩いたわ。三十キロくらいかしらね」(こちらは目を丸くして呆然・・・)

「元気でいいわねぇ」
「やだ、元気じゃなくちゃ、何も出来ないわよ」と、ホッホッと笑い、「六十過ぎてからね、歩き出したのは。それまで販売員のアルバイトをしていたの。三十年近くも」と言った。

 手仕事(手芸)も好き、運動も大好きという彼女、毎日楽しいと豪語。


「どっか、痛い所ないの?」と聞いてみた。
「ないわよ。あるとしてもそんなの脳の誤作動で、勘違いしているだけなのよ」
「・・・」


 脳の誤作動でくよくよしているわたし、脳天を打たれてしまった。(そうなの? そうじゃないみたいだけど・・・そうかもしれない、是非そう思いたいわ!)

 ちなみに彼女、講師から「あなたは才能がありますね」と褒められてご満悦。こちらは「今日はどうしちゃったの、」と全くの不振でしょんぼり・・・明暗くっきり。

『ポラーノの広場』374。

2014-06-22 06:46:38 | 宮沢賢治
そして鏡の中の私の顔を、それはそれは真面目な風で検べてから
「いゝやうだね。」と言ひました。

 鏡はキョウと読んで、教。
 中はチュウと読んで、注。
 私はシと読んで、詞。
 顔はface→Faith(信仰)。
 真面目はシン・メン・モクと読んで、申、綿、黙。
 風はフと読んで、二。
 検べてはケンと読んで、兼。
 言ひましたはゲンと読んで、現。


☆教(神仏のおしえ)の注(意味を明らかにする)を詞(ことば)にする。
 信仰を申(のべること)を綿(細く長く続け)黙って、二つを兼ねて現わしている。

『城』1660。

2014-06-22 06:35:29 | カフカ覚書
彼女は、あきらかに新米の小使に会う心がかえをし、おそらく男の教師から指図も受けてきたらしかった。というのは、敷居のところに立つなり、こう言ったからである。


☆彼女は、あきらかに新しい罪過の心がまえをし、おそらく戒めから、その行動の仕方を受けてきたらしかった。入り口に立つなり、こう言ったからである。