続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

揺らぎながらも・・・。

2014-06-18 06:51:11 | 日常
 一たび病気になると、どうしてもマイナス思考に陥りがちである。
「でもね病は気から。陽気・強気の人は治って退院して行くけど、弱気で沈みがちな人は反って重症化する傾向にあるわ」と病院関係者に聞いたことがある。

 いつでも夢を前向きに持って生きていくことは、覚悟が要る。ただ単に目の前の病根にばかり気をとられて自分を見失ってはいけない。いけないと思いつつも、身体が発する痛みが痛烈であれば、目の前は塞がれてしまう。望みなしの状況を振り払う強気も失せてしまうかもしれない。

 
 先日、古い毛布の綻びを直そうと針と糸を持ったら、そこかしこ・・・修復にかなりの時間を費やしたけど、結局近いうちには新品購入を予定せざるを得ない劣化状態。すでに三十余年は使っている代物・・・当たり前と言えばそれまで。

 そんな風に、わたし自身も使用期限が終末に近づいているのかもしれない。膝痛が・・・なんていっているけど、実はどこもかしこも黙したまま自然の摂理で酸化し錆びついてきているのではないかという妄想、気の迷い。


 透析を受けるまでに深刻化した糖尿病患者であった母は、瀕死の状況の中、
「先生、この手(シャント)は治りますか?」と担当医に訪ねた。医師は「治りますよ!」と力強く母を励ましてくれたけれど、翌日から混濁状態になり数日後に死去。長い闘病の果てである。


「治りますか?」(治りません)
 病は気から・・・あの世に逝くその日まで、治ることを信じて突き進んでいく人生でありたい。揺らぎながらも・・・。

『ポラーノの広場』370。

2014-06-18 06:37:57 | 宮沢賢治
「今夜は、毒蛾も全滅だな。」誰か向ふで言いました。

 今夜はコン・ヨと読んで、渾、世。
 毒蛾はドク・ガと読んで、毒、芽。
 誰かはスイと読んで、遂。
 向ふはコウと読んで、講。
 言いましたはゲンと読んで、現。

☆渾(いろいろなものがひとつに解け合っている)世(世界)の毒(わざわい)の芽である前(過去)を、滅(なくす)ことを遂げる講(はなし)を現わしている。

*一つの話の中で、「云う」だったり「言う」と現わしたりするのは、もう一つの話を誘引するに必要な訓の違いから来ていると思う。「漢字(読みによる意味の換言)」だったり「ひらがな(スルー)」と現わしている言葉もある。

『城』1656。

2014-06-18 06:23:34 | カフカ覚書
しかし、フリーダは、なにも見つけることができなかった。もしかしたら、錯覚だったのかもしれない。彼女は、Kのそばへもどってきたが、その途中で、有食のときの話なんか忘れてしまったかのように、うずくまってひくひく泣いている助手の髪の毛をなだめるようにそっとなでてやった。Kはそれにはなにも文句をつけなかったが、もう薪をくべるのはやめろと助手たちに命令した。運びこんだ薪をほとんど焚きつくして、暑くてやりきれなかったからである。


☆しかし、フリーダ(平和)は、何も見ることができなかった。
 先祖のことは錯覚だったのかもしれないが、絞首刑の方法が甦り、終末の話を忘れ、うめくようにしゃがみこんだ。助手(脳、知覚)は、その大群を慰めるようにし、何も言わなかった。ただ、助手(脳、知覚)は、荒地がすべて地獄と化していることに緊迫し、激昂して行くのを感じていた。