続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

孫の心配。

2014-06-09 06:48:45 | 清一朗
 息子の所へ電話をすると、すぐに出た孫のキヨちゃん。
 開口一番
「おばあさんは今どこにいるの?」と妙なことを聞いた。
「ここにいるよ」
「どこ?」
「ここ、横須賀のおうち」
「ええっ、じゃあ、おじいさんはどこにいるの?」と畳み込んで聞いてきた。
「ここ、すぐそばにいるよ」
「・・・」少し間を置いて
「ふうん、お母さんがね、スマホで横須賀を見ていたよ、がけ崩れがあったって」(ああ、そういえば・・・5才の幼心、がけ崩れは横須賀全域にあったと思ったのね。)

 心配してくれてありがとう。


「がけ崩れってなに?」
「がけが崩れてお家や車がぺしゃんこになって、人が死んでしまう場合もあるの」
(ええっ、恐いなぁ、横須賀のがけ崩れって・・・それじゃあ、おじいさんとおばあさんはどうしたんだろう、もう死んじゃったのかな)小さな頭で考える、ああ、今ごろは・・・。

 そこへ、おばあさんであるわたしの電話、孫の開口一番「今どこにいるの?」が理解できる。
《ありがとう、心配してくれて・・・ありがとう》

『城』1648。

2014-06-09 06:29:58 | カフカ覚書
Kもフリーダも、椅子に腰かけたままとりあおうともしなかったのだ。ふたりは、寒さがますます身にこたえてきて、寝床に入るのも億劫だった。とうとうKは、いまからでも部屋をあたためなくてはならない。でないと、眠ることもできない、と言った。


☆厳しくしごかれるのも、ますます耐えがたく、冷静ではいられなくなってきた。ついに団結しなければならない、でないと多分眠る(死ぬ)こともできない、と説明をさえぎった。