続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

とんぼ玉を断念する。

2014-09-02 06:44:35 | 日常
 物事には向き不向きがある。わたしの性格ではとんぼ玉製作は無理だということが日を追って分かってきた。

 まず、ガラスが割れるという現象が恐怖である。ガラス棒を高熱のガスの火で溶かしていく、その作業に全身が固まってしまう。(いつ割れる?)そう考えてドキドキしていると、隣で製作中の人のガラスが飛んでくる。(大胆にも、平っちゃらって感じで「あ、ごめんなさい」なんて言っている)

 ガラスが割れる・・・「やだ、そんなこと当たり前じゃない。ガラスだもの」「・・・」

 とんぼ玉は美しい。その思いがけないほどの美しさに魅了され、何とか続け、恐怖を克服しようと頑張って何回か(月2回/9日)通ったのだけれど、とうとう、神経衰弱のように疲弊して、前回などは帰宅と同時に倒れこむように横になってしまった。
(もう、だめだ・・・)
 誘ってくれたKさんに申し訳ないけど、趣味のサークルでこんなに苦しむなんて、もう限界。


《やるだけやってみよう、いつか笑い話になる日が来る》《いえ、いえ、もう絶対に無理!》
 何度も何度も波のように繰り返す反問。

「楽しいわ」笑いさざめく声がサークルの中で起きる。そのたびに(うそっ!恐いわ)と内心の緊張がさらに高まっていく。


 わたしの中で、重い鉄扉がどーんと音を立てて閉まった。

『ごめんなさい』
 とんぼ玉は諦めざるを得ません。(未練というものを感じないのです)
 いい経験をさせていただき、ありがとうございました。

『ポラーノの広場』437。

2014-09-02 06:30:34 | 宮沢賢治
「年よりたちがねぇ、ムラードの森の工場に居てぼくに革の仕事をしろといふんだ。」
「できるかい。」
「できるさ。それにミーロはハムを拵へれるからな。みんなでやるんだよ。」
「姉さんは?」
「姉さんも工場へ来るよ。」
「さうかねえ。」
「さあ行かう今夜も誰か来ているから。」 わたくしは俄かに疲れを忘れて立ちあがりました。


☆念(考え)に真(嘘偽りがない)講(はなし)を常に拠(よりどころ)として書く。
 詞(言葉)に恃(たのみ)、尊い考えに至らせる。
 講(はなし)の常は雷(神なり=死後はみな平等に神になる)の考えを金(尊ぶ)也。
 推しはかる雷(神なり)を臥せて、秘(人に見せないように隠す)の謀(はかりごと)に留めている。

『城』1724。

2014-09-02 06:15:15 | カフカ覚書
女教師は、クラス名簿をもち、まるまるふとって無関心げな顔をしている猫をそのうえにのせていた。教師は、猫をこの部屋に置いておきたかったのだが、そのことをそれとなくほのめかすと、女教師は、Kの残忍さを楯にとって、断固として反対した。


☆空虚な中身(現実)は極端な編(書物)であり、あなたたちの沢山の無関心で排他的な社会にある。空虚な事件をテーマにしていたが、先祖がそれに関して仄めかすと、現実はひどい指示に反対した。