続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

野菜高騰、でも。

2014-09-07 06:54:29 | 日常
 八月は、本来夏野菜など投売り状態であるのに、キュウリなど三本298円と信じがたい高値がつけられている。
(別にキュウリがなくても何とかなる老二人の食卓)
 365日毎日煮野菜を食べるために水炊きをしているけれど、肝心の白菜も1個600円、キャベツも298円、これではちょっと・・・。でも、なくても困るのでやむなくキャベツを購入。家に持ち帰ってよく見ると劣化状態(がっかり)

 スーパーでなく、出店のような簡易野菜売り場のような所に目を向けたら、キュウリが四本150円(ヤ、安いわ)。冬瓜、南瓜も150円、ナスが三本100円・・・アレッという感じである。
 そういえば、ここ三浦半島は雨降りが続いたというものの、幸い打撃的被害はない。我家の苦瓜(ゴーヤ)など、次々大きく育って食べきれないほどの数が実っている。
「三浦半島っていいとこだよね、災害もなくって」とは、友人たちと常々交わす会話であるが、ごく狭いエリアの事しか念頭にない主婦の頭の中、明日の事は想定していない。(大きな断層が三本も走っている三浦半島の恐怖・・・)


 忘れた頃にやってくるという災害。
 日本各地で今夏の大雨被害が続出しているというニュースを聞くたびに、改めて被害を受けられた農家の方々の衝撃を思い、野際の高騰などと言っている状況ではないことを思い知らされる。

 幾つもの困難を乗り越えて今在るわたしたちの未来はどうなるのだろう。野菜高騰、でも購入できる内は幸いだと思う。
《もし・・・、もし・・》
 頭を地面にこすり付けても売ってもらえない日が来るかもしれない。状況は常に動いている。

 でも、だから、「三浦半島は・・・」なんて呑気に言っている幸いに感謝している。

『ポラーノの広場』442。

2014-09-07 06:48:11 | 宮沢賢治
その二人もこっちをちらっと見たやうでしたがそれから何かはなし合ってとまってわたくしどもの行くのを待ってゐるやうすです。わたくしどもも急いで行きました。
「やあお前さん帰って来さしゃったね。まづご無事で結構でした。」


☆字の図りごとが現れる。
 過(あやまち)の業(善悪全ての行為。また、それが将来に及ぼす影響)の講(はなし)であり、二つを求める講(はなし)である。

『城』1729。

2014-09-07 06:24:16 | カフカ覚書
「おまえたちは、首になったんだ!」と、Kはどなりつけた。「もう二度とおれの下で働いてもらうわけにはいかん」
 むろん、助手たちは、そんなことを承知するはずもなく、ドアをがんがんたたいたり、蹴ったりした。


☆あなたたちは解除したんだ!と、Kは叫んだ。さらにきみたちはわたしの下で働くことは決してない。もちろん助手たち(脳、知覚)は解除を承知するわけもなく、さまよいながら国家を槌打ったり、企みを基礎付けたりしている。