続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

偶然と必然。

2014-09-20 06:52:27 | 日常
 当然の結果、因があって果がある。
 芽吹けばいつか枯れる、誕生は死を必然的に含んでいる。

 夢幻・・・浅き夢。誰もが悟る死への予感、覚悟、諦念。

 熱くなったものは冷める。エネルギー保存の法則・・・。
 老いて熱く語るようなことがあれば、それは逆行の病を疑われても仕方のないことなのだろうか。ある意味、病を生きているのかもしれない、わたしの戯言は。まあそれも一興、死を待つまでの座興と思えばお気楽である。
 何もかも消え失せていく。
 
 角にあった家は主人が亡くなり解体され、新地になった。と、思う間もなく新しい家の棟上、「若い人がくるのよ、もう挨拶に来たわ」と隣家の主。
 人の生死で地域の景色も変っていく。全体、呼吸していて、無音のままめくるめく季節の中で移り変わっていく。傍観しているわたしも、いずれその呼吸する大気の中の呑みこまれ消えていくに違いない。

 すべては必然なのかもしれない。あたかも偶然に見えるとしたらそれは錯覚なのだろうか。江戸時代の人間がこの街中を闊歩するなどありえない事実だからである。

 万分の一、憶万分の一の偶然によって誕生する生命は、その後、必然を受け入れなければならず、それゆえ偶然をどこかで期待し、祈り夢見るようになる。

 
 しかし、どこかでやがて来るべき必然(死)を打ち消そうとする。偶然と必然の境界は見えないが、気づけば全てが偶然であり、思えば全てが必然に向かって進行している。
 意味のない人生は無いというが、意味そのものが偶然なのか必然なのか判別しかねている。

『ポラーノの広場』454。

2014-09-20 06:44:29 | 宮沢賢治
「そらあすこに一つ、あかしがあるよ。」ファゼーロがちょっと立ちどまって右手の草の中を指さしました。そこの草穂のかげに小さな小さなつめくさの花が青白くさびしさうにぽっと咲いていました。


☆逸(隠れている)律(きまり)は幽(死者の世界)の趣(考え)である。双(二つ)の注(意味を明らかにする)の詞(言葉)は双(二つ)を推しはかる。
 衝(重要な所)は照(普く光があたる=平等)であり、化(教え導く)章(文章)を吐く(言っている)詐(つくりごと)である。

『城』1742。

2014-09-20 06:30:23 | カフカ覚書
彼に見られると、フリーダは起きあがって、髪の乱れをなおし、涙をぬぐい、無言のままコーヒーをわかしにかかった。彼女は一部始終を知っていたわけだけれども、Kは、助手を解雇したことを形式的に報告した。


☆彼に見られると、彼女は起きあがり、大群を整列させ、幽霊の愚行である馬鹿話に無言のまま激昂した。彼女はすべてを知っていたけれども、Kは助手(脳、知覚)の先祖を見捨てたことを報告した。