続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

目の奥がしんしんと・・・。

2014-09-28 06:56:42 | 日常
 目の奥がしんしんと痛む、というか重い。目を開けているのが少々負担に感じる。単なる眼精疲労だろうか。
 今夏、目の充血で眼科にお世話になったけれど、そのときに分かったことは、緑内障でも白内障でもないということだった。だから・・・やっぱり疲れなのだ。つい先日も目が充血したのだけれど、眼科にかかった時の目薬を差したらすぐに治った経由もある。

 眼圧が高いのだろうか・・・。不明ではあるけれど、目を休ませなくてはいけない。読書家とは程遠い生活、TVを見続けることが日常化していることに因があるのかもしれない。

 目・肩・腰・・・加えて膝、どこもかしこも不調である。

 今日はこれから小網代の森へ行くけれど、たくさんの緑に触れて、目を休めるにはいいかもしれない。
 家の中に閉じこもってばかりいてはいけない。《さあ、出かけよう!》自分に発破を掛ける、気合いこそが、唯一無二の薬。

 さあ、さあ、さあ・・・明日があると思うな、今日の自分を生きなくては!

『ポラーノの広場』462。

2014-09-28 06:48:02 | 宮沢賢治
 のはらはだんだん草があらくなってあちこちには黒い藪も風に鳴りたびたび柏の木とか樺の木がまっ黒にそらに立ってざわざわざわざわゆれてゐるのでした。そしていつか私どもは細いみちを一列にならんであるいてゐたのです。


☆双(ふたつ)を告げる。
 相(二つの物が互いに同じ関係にある)に付(任せる)命(めぐりあわせ)を吐く(言う)。
 目(ねらい)は、化(形、性質を変えて別のものになる)で黙って告げている。
 律(きまり)は詞(ことば)を砕き、逸(かくれているもの)を裂(ばらばらに離す)。

『城』1750。

2014-09-28 06:38:18 | カフカ覚書
それにくらべて、きむは、ぼくのためにどれほど尽くしてくれたことだろう!きみを知るまでは、ぼくは、この村でまったく途方にくれていたのだからね。だれひとりとして、ぼくを迎え入れてくれないし、こちらから無理に押しかけていっても、そそくさと追いだされる始末だった。


☆すべてにおいて、わたしのために尽くしてくれた。わたしはあなたを知るまでは、ここでは完全に彷徨していたのだから。だれひとりとして受け入れてくれず、強引にいっても、滑稽な話で、追いだされる始末だった。