続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

小網代の森。

2014-09-29 06:56:55 | 三浦半島
 「YRPの水辺の会」のメンバーの誘われて、久しぶりに小網代の森を散策。

 「えっ?」「あっと、驚く!!遊歩道~」
 小網代の森へ行くときは、(長靴を用意して汚れてもいい服装、そして前の人を見失わないように列を組んで行きましょう)という約束のはずだった。なのに、(お気軽に森の景色を愉しみながらどうぞ)という一本道の散策路が造られていたからである。

(う~ん、いま一つ情緒がねぇ)(でも、危険はないわね、確かに)

 ボランティアの方々の熱意により舗道の至近は草が刈られてスッキリ。

 アカテガニ広場は立ち入り禁止、カニのいる干潟も満潮だったので、えのきテラスで休憩。ボランティアの女の人が訪れる人たちにいろいろ説明したり誘導していたので、近づいて話を聞いて見ると、ここで訪問者のカウントをしていると言う。
「わたしたちは岸先生の指導の下こうした活動をしており、先生は慶応大学の教授を退職なさったのですが、ここの保全に力を入れています。今日も間もなく見える予定です」「ああ、向こうから来たあの方が先生です」
 見ると細身ながら精悍な顔立ちの男の人が十数人を先導して近づいてきた。

 岸先生は東京ガスの有志の方々(ご家族/in子供・A班/B班/C班と約五十名ほど)の前で、
「小網代の森を元の姿に還す運動をしています。かつては五メートルもある笹などで覆われていたのですが、乾燥に強い植物なので除去いたしました。他にも、たとえばセイタカアワダチソウなどは、日本に自生していない外来種であり、他の植物を弱らせる有毒な植物なので、今日はみなさんに抜いてもらおうと思います。やり方はこのように根本に足を乗せ、下のほうから両手で掴むと簡単に引き抜けます。二十分ほどの時間を予定していますからお願いします。」と説明。

「そういえば三角の露草・・・トキワツユクサは見当たりませんね」というと、ボランティアの方は
「みんなで、目を皿のようにして抜き取ったんです」と言ったので、びっくり。

 岸先生は「水流を基の形態に戻し、数年の内に湿地帯を取り戻したい」という風なことを説明していた。以前来たとき、博物館の先生は「昔はこんなでなかったのに、年々乾いてきています」と失望なさっていたけれど、まさかこんな尽力が為されていたことなど、それこそ露しらずのわたし。

 岸先生やボランティアの方々の熱意と協力には、胸キュン。
 トキメキの出会いは不意に訪れるものらしい・・・ありがとうございました。

『ポラーノの広場』463。

2014-09-29 06:24:15 | 宮沢賢治
「もうぢきだよ。」ファゼーロが一番前で高く叫びました。
 みちの両側はいつかすっかり林になってゐたのです。そして三十分ばかりだまって歩くとなにかぷうんと木屑のやうなものの匂がしてすぐ眼の前に灰いろの細長い屋根が見えました。


☆逸(隠れている)ものの判(区別をする)。
 全ての考えは教(神仏のおしえ)を慮(あれこれ思いめぐらす)則(きまり)である。
 和(争いを収める)太陽の自由は、文の部(区分け)によることが目(めあて)である。
 説(ものがたり)の仁王(仏法の守護神/一対の金剛力士像)が現れる。
 然るに(そのとおり)、悔(過ちに気づいて残念がる)を済(救う)懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)也。
 恨(残念に思う)件(ことがら)である。

『城』1751。

2014-09-29 06:13:57 | カフカ覚書
たとえだれかのところで憩いの場所を見つけることができたとしても、それは、こちらからまた逃げださざるをえないような人たちだった。たとえば、バルナバスの一家がそうだがー」


☆だれかのところで静けさ(平和)を見いだすことができたとしても、それはまた、こちらから逃げださざるをえない社会だった。それは小熊座の中心(北極星=死の入口))の社会がそうだけれど・・・」