『紙芝居講座』の5回目は、各自出来上がった作品の発表会。
それぞれ思いを込めた作品を、メンバーや今までお世話になった先生方の前で披露させていただいた。わたしなんかは上がることしきりで・・・よく覚えていないくらい。でも何とか次の方へつなぎました。
とにかく丁寧に心を込めて、細かい注意点のご指導なども出来る限り守った結果、一つの作品にたどり着いた次第。
受講生みんな感無量、長距離走を走り切ったという感じ。
次週から三学期が始まりますが、自分を空っぽにしてこの「紙芝居講座」を享受するつもり。
新しいことに挑戦するって楽しい。
「みなさん、これを宝物にしてくださいね」と、片岡先生。
宮崎二美枝先生、片岡直子先生、スタッフの先生方、奥泉さん大柴さん・・・本当にありがとうございました。
『与えられたとせよ:⑴落ちる水⑵照明用ガス』
このタイトルの不思議を追うと、『⑴落ちる水』は『雨』であり、『⑵照明用ガス』は『太陽』であることに行き着く。
つまり、《この地球の大自然を仮に与えられたとして》というように自分自身の立場を外して客観視して考えるという宣言である。作家自身はこの世から離れ、宇宙の任意の場所から観察しているという眼差しを感じる。「覗き穴」がそれにあたる箇所である。
不思議かつ猥褻/グロテスクな裸婦の大股開き…
ふたりの目が開け、自分たちが裸であることがわかったので、いちじくの葉を腰に巻いた(『創世記』第三章より)
これ以前の景色である。羞恥以前・・・「仮に思いを巡らせ、それを決定として夢想せよ、覗き見よ」と試行錯誤を突き詰めていった作品である。
しかし手に火の点いたランプをかざしていることから、生と死、そして文明…原初の混在の景である。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
二疋の雪狼が、べろべろまつ赤な舌を吐きながら、象の頭のかたちをした、雪丘の上の方をあるいてゐました。
☆字には必ず説(はなし)が漏(もれでる)釈(意味を解き明かす)がある。
舌(言葉)の図りごとは、照(あまねく光が当たる=平等)への祷(祈り)の説を究める。
照(あまねく光が当たる=平等)は、法(神仏の教え)である。
しかし、かりに父がそのことを担当しているお役人に出くわしたとしても、必要書類がなくては、なにひとつ処理できませんし、路上ではなおさらそうですわ。そのお役人は、とても赦すことなどできないでしょう。
☆でも、父(宿命)が、先祖の終わり(死)に属していても、この行動なしには解決できず、個々の激しい論争なしには解決できません。