『エナメルを塗られたアポリネール』
サポリン社の小さなエナメルの看板に手を加え『エナメルを塗られたアポリネール』というレディ・メイドにした作品。
文字を見て咄嗟に思いついた文字遊びである。文字の並びに他のイメージを想起することはママあるが、それを作品化するには明確な意図があるはずである。
文字を部分的に入れ替えることで、まるで異なる意味が展く。記号の並びはイメージと密接に結びついているが、一見して、類似性があっても意味は共通の領域を持たないどころか関係性を断ち切られてしまう。イメージあるいは物質の変形は最後までその要素の片鱗を失わないが、文字(記号)にはその関連性は皆無である。
(サポリン社のエナメル)は、(エナメルを塗られたアポリネール)に記号の類似は見られるが、まったく無関係であり、その画の表示の中にアポリネールは不在である。
鏡に映った女の子の後頭部は、画の中の女の子を想起させるが視点を大きずらさなければ映りようがなく、画の手前に後頭部が映る他の女の子が見えないが存在する筈である。
(エナメルを塗っている女の子の画面)に、鏡に女の子の後頭部を書き加えたことにより、画面の手前の空間にいる女の子を立たせたのである。
この作品は、作品からは見えない不在の人物を二人も登場させている。
確かに画の中に一人の少女がいる、しかしデュシャンの加筆により二人の不在の人物をこの画の空間に登場させてしまった。
存在とは何か、記号とは何か。《存在と不在》あるいは《記号の自在性》は、時空に混在しながら世界の仲介を果たすと同時に混迷を浮上させている。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
「アンドロメダ、
あぜみの花がもう咲くぞ、
おまへのラムプのアルコホル、
しゆうしゅと噴かせ。」
雪童子は、風邪のやうに象の形の丘にのぼりました。
☆化(形、性質を変えて別のものになる)を査(調べて)粉(細かく砕く)。
説(はなし)が導く詞(言葉)で、普く照(あまねく光が当たる=平等)の恵みを究(つきつめている)。
「だけど、ぼくがあるお役人の橇のなかをのぞいてみたときh、書類なんかありませんでしたよ」と、Kは言った。
☆だけど、先祖の終わり(死)の内側には往復台がみえ、小舟の作用なんてものもある。