『夕べの徴』
夕べは夜になる手前であり、漆黒(不可視)を控えた時間帯である。しかし、まだ見えている、その見えているものの危うさ、しばし留まっているように見える不可逆の時空。
全体が微妙に傾いでおり、ズレ落ち消失を余儀なくされる前兆を潜ませている。波板の上に置かれたフレームは、その背後に支えを認めることが出来ないので倒れることは必至と思われる。
第一背後の黒い山々との距離感がつかめないが、至近ではないことは明白であり、この溝には計り知れない虚空がある。
フレームを被っていたらしいカバーの亀裂は一枚のように見えるが、平面に戻すことは不可能な面積と見て取れる。描かれた絵には3個の球体があり、描かれているがゆえに固定されたものであるが、フレーム外の滑降していくような球体と響き合っている。(故に移動の錯覚を覚える)
波板の手前はどうなっているのだろう、深淵、漆黒の不可解な時空が控えているかもしれないが、全ては不明である。
夕べは夜になりやがて朝になるという巡回があるが、フレームや球体などの不安定な傾ぎは、物理的な落下を予想されるのみで回帰はありえない。
この作品に孕む落下・下降・崩壊の予測は、背後の黒い山に吞み込まれてしまうのだろうか。
『夕べの徴』は《夜/虚無へ向かう徴候》の暗示であり、存在すべてが虚空へ傾いていくような不穏な空気感を醸し出している。
(写真は『マグリット』西村書店より)
「ありがたう。」雪童子はそれをひろいながあ、白と藍いろの野はらにたってゐる、美しい町をはるかにながめました。川がきらきら光って、停車場からは白い煙もあがつてゐました。
☆説(はなし)は同(平等)の思いに迫る愛也。
備(あらかじめ用意しておく)帖(ノート)で、千(たくさん)の考えを諦(あきらかにする)。
赦(罪や過ちを許す)の情(おもいやり)を吐く縁(つながり)がある。
あるときこの道が繁盛しているとおもうと、たいていの車がそこを通りますし、またべつの道がはやりだすと、すべての車がそこに殺到します。どういう規則でこうした交替がなされるのかは、まだわかっていません。
☆先祖の汚点が蔓延すると、大抵は来世へと向かいます。また別の先祖の汚点が蔓延すると、死んで(前者は)押し出されます。小舟がいかなる規則でこのようになるのか、まだ理解されていません。