『夕べの徴』
この景の場所を特定できない。手前の対象物には光が当たり明確に物が見えているのに、背景の山々はすでに日暮れて暗い。つまり、陽は山の向こうに落ちているはずである。
前景と後景は隔絶された空間であり、深くて巨きな溝を感じる。繋がらない空間を隠蔽するかのフレームは正しい四辺形ではなく波板も左に傾斜しているが、波板の線の方向が右に流れているためその傾きを打ち消している(錯視)。
波板の線によって傾斜面に見えるが、フラットな色面ならば、上にある球体も落下の予測を免れるのではないか。線には力があるということであるが、この場合明らかに滑り落ちるという状況を構成している。
フレームを被っていたであろう裂けて四方に丸まった面は、繋がっているようであり一枚の平面に戻るかに見えて、明らかにその面積の領分に不可思議があり決して平面にならないと直感できる。予測不能であり、復元は突起を持った立体になるらしいとの感想を抱くだけである。
赤いフレームの中の一本の樹木は板状の面に結びついている。いかにも不条理な景に立つ樹木は、辺りを支配するようであるが、頭を押さえつけられている。拘束と圧力に封じ込められている不自由さがある。地面(床面)に転がる球体は精神(心理)あるいは真理だろうか。どこへでも行かれる自由さとどこかへ流されるような不自由さを併せ持っている。
自由と不自由を内包しつつ寄る辺ない時間の流れに身を委ねている。
静かな不穏ともいうべき光景の寄せ集め、コラボした景は不安定ゆえの不安を醸し出している。
『夕べの徴』、落下のスパイラルに引きずり込まれそうなマイナスの力が働いている景である。
(写真は『マグリット』西村書店より)
砂糖を買って、じぶんだけ帰ってきたな。」雪童子はわらひながら、手にもつてゐたやどりぎの枝を、ぷいとこどもになげつけました。
☆赦(罪や過ちを許す)を問う媒(仲介)の記である。
説(話)は、同(平等)であるべき死の趣(考え)を試みている。
しかし、どの道を通ってくるかということが不規則で、見通しがたたないのとおなじように、車の数もまちまちで、予測がつきません。
☆しかし、その激しい口論も不規則で突発的なのです。救助の数もまちまちで心底を見抜けません。