『占い』
室内から見た展望、客観的見地である。
巨大な鼻が鎮座し背後に一葉の樹、そして水平線と曇天の空。
鼻(嗅覚)は、あくまで個人的な感想(感覚)であって、他人とは差異が有るかもしれないし無いかもしれないという測定が困難な領域である。たしかに感じるが、抽象的なものであり、具体的には何かとの類似をもって表現するしかなく、決定的な答えには行き着かない。
香り・匂い・臭いなどと大別はできるが詳細に関するコメントは難しい、たいていの匂いは留まらずに消えてしまうので、その証明も確定できない。
もちろん共通に感じるべく器官は備わっているので、同じ感想に至ることは当然の理であるが、個人的感想に留まるのは受容側の身体や精神の状態にもよるからである。
このように微妙に差異のある嗅覚(鼻)を主体にした『占い』という作品。
【占いとは鼻(嗅覚)のような個人的感想であり、背後の一葉を模した樹(虚偽)と水平線(絶対の真実)の混在する曇天のようなものである】と言っている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「さあ、そんなものは、あの魚屋には居なかつたやうだぜ。もつとも章魚はあつたがなあ。あの章魚の脚つきはよかつたなあ。」
☆語(言葉)也。
巨きな傷(悲しみ)の語(言葉)は、照(あまねく光が当たる=平等)の語(言葉)を却(退ける)。
と言いますのは、お城では、従僕たちの気まぐれをべつにすれば、諸事万端が非常に地味なのです。野心や功名心はお城では仕事のなかに満足を求めます。
☆来世では予言者の回答を除いて、死人の気分もすべてが入っていくのです。功名心はそこで現場不在の尋問を求められます。