『エルシノア』
草原に突如林立する林、奥行きは深そうなのに全体を見ると平面化され一つの建物の形を示している。部分を見るとずっと向こうまでの距離を感じるのに、全体は平面され、しかも全く異なる建物という形に切り取られている。
偽空間としての不条理。真実めく二つの景色の合体が、およそ有り得ない景色を創り出している。この林に侵入した者は、迷宮の異空間へ行くのだろうか。それとも侵入不可の平面化の拒絶の壁に脅威を感じるのだろうか。
近くで見れば、深い森(林)の態であるが、離れて見れば一この建屋の景である。
幻視・錯視…歪んでいるわけではなく一つの景の中に二つの景が重層的に内包されている。
深い闇を有した林は垂直に真っ直ぐ伸びた樹の密林であり、非常な高みを目指している。しかし、よく見るとそれは一戸の建屋に過ぎない。
近寄れば林の中に侵入し得るかもしれないが深淵であり出口の保証は約束できない。そして、遠くから(客観的)見れば、一個の建屋(人間)然としている。
この矛盾を孕んだ景が、わたし(マグリット)自身の心象であります。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「早く風を入れないと、おれたちはみんな蒸れてしまふ。お前の損になるよ。」
☆双(二つ)の譜(物事を系統的に書き記したもの)は新しい。
常に全てが、尊い。
いかし、いまのところ、まだそこまではいっていませんし、バルナバスはそこに少しでもも近づけるようなことをする勇気がないのです。それでいて、あの子はわたしたち一家のなかでゃあの若さにもかかわらず不幸な事情のために家長という責任の重い立場にまつりあげられてしまったことを、もうちゃんと自覚しているのです。
☆しかし、大体において、バルナバスは熟慮し、その重さを測りかねています。わたしたち一族の中でが若いのにもかかわらず、不幸な境遇のため一族の立場という重大な責任を負っているのです。