続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)朝枕。

2021-05-06 07:00:38 | 飯島晴子

   朝枕ほとけどぜうの越ゆるなる

 朝枕ほとけ(朝枕仏)はチョウ・チン・ブツと読んで、提、灯、払つ。
 どぜうの越ゆるなる(泥鰌越)はデイ・シュウ・エツと読んで、泥、収、閲。
☆提灯を拭う泥(こだわり)、収(仕舞うときには)閲(調べ、確かめる)。

 朝枕ほとけ(朝枕仏)はチョウ・チン・ブツはと読んで、調、陳、物。
 どぜうの越ゆるなる(泥鰌越)はデイ・シュウ・エツと読んで、泥、修、閲。
☆調べて陳(述べる)物(事柄)、泥(こだわり)、修(整え)、閲(確かめる)。

 朝枕ほとけ(朝枕仏)はチョウ・チン・ブツと読んで、懲、鎮、打つ。
 どぜうの越ゆるなる(泥鰌越)はデイ・シュウ・エツと読んで、泥、囚、咽。
☆懲(こらしめ)鎮(抑えつけ)打たれる泥(かかわり)。
 囚(捕らわれ人)の咽(むせぶ声/嗚咽)がある。

 朝枕ほとけ(朝枕仏)はチョウ・チン・ブツと読んで、鯛、陳、打つ。
 どぜうの越ゆるなる(泥鰌越)はデイ・シュウ・エツと読んで、出居、聚、悦。
☆鯛を陳(並べ)打つ。
 出居(さあ)、そこには聚(集まった)悦(喜び)がある。


若林奮『1-1-1』

2021-05-06 06:41:06 | 美術ノート

   1-1-1 Untitled

 石、岩石である。人の手による線条、掘削の跡がある。
 意味はあるかもしれないが確定は難しい。原初的な行為、そこに存在するものに何らかの関係をの痕跡を残す…使用目的?本能的な所作、行為はやがて生活(生きる糧)へとつながっていく。

 物との関係性、自然との対峙。
 そこに石もしくは岩石があるから人はそこに関係性を見出そうとして線を刻み、穴を掘る、あるいは突起を見出す。意味の前の意識、本能的な行為で石(自然)との対話を模索する。

 石(自然)に係ることで自分の能力を感知する。「わたしとは何か」の問いである。


 写真は『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3645。

2021-05-06 06:24:08 | カフカ覚書

 Kは、もう一度お辞儀をして、ドアのほうへ歩いていった。
「あんな服を着て仕事をしているお内儀をいたことがないとは、いったい、どういう意味なのですか」と、お内儀はKのうしろから叫んだ。「そんな無意味な言葉をなんのためにおっしゃるのです。だってまるで意味がないじゃありませんか。それでなにをおっしゃりたいのです」


☆Kはさらなる汚点の方を見て、愚人の方へ歩いていった。「やるべきこととは」、女主人は背後から叫んだ。女主人は小舟をよけて現場不在者たちの方に急いだ。「このような無意味な所見は何なの?」