続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)従姉ばかりで。

2021-05-10 07:25:28 | 飯島晴子

   従姉ばかりで山椒の木を焼いてをり

 従姉はショウシと読んで、硝子。
 山椒の木はセン・ショウ・モクと読んで、尖、傷、黙。
 焼いてをり(焼居)はショウ・キョと読んで、消、去。
☆硝子(ガラス)の尖(とがった先端)で、傷(怪我をした)が、黙って消え去(たちさった)。

 従姉はショウシと読んで、賞賜。
 山椒の木はセン・ショウ・ボクと読んで、羨、小、僕。
 焼いてをり(焼居)はショウ・キョと読んで、奨、挙。
☆賞賜(褒美の金)を羨む小さな僕(わたし)。
 でも、奨(ほめる)挙(ふるまい)はある。

 従姉はショウシと読んで、焼死。
 山椒の木はサン・ショウ・モクと読んで、惨、傷、黙。
 焼いてをり(焼居)はショウ・キョと読んで、消、虚。
☆焼死の惨(いたましさ)に傷(心を痛める)。
 黙って消える虚しさがある。

 従姉はジョウシと読んで、娘子。
 山椒の木はサン・ショウ・モクと読んで、産、称、沐。
 焼いてをり(焼居)はショウ・キョと読んで、掌、挙。
☆娘子の産(誕生)、称(重さを測り)、沐(水を浴びさせる)。
 掌(手のひら)の挙(ふるまい)である。


鈴木しづ子(私的解釈)死の肯定。

2021-05-10 07:07:10 | 鈴木しづ子

   死の肯定万緑のなか水激ぎつ

 死は、正しく適切であり、理の当然だと承知している。けれどこの燃え盛る草木の緑の激しさ、命の燃焼は眩しく煌めいている。
 水は地球の原初から三態の変化をもって生き続けているが自ら動くものではなく、他からの作用によりエネルギーを得ている。高低差、太陽熱による気流、地震などの振動…。
 わたしの中の永遠の命もまた、あなたに因して、狂うほどに激しく揺れ動いている。
 死の肯定《恋の終焉》・・・理解している。けれど、すでにわたしの身体はバランスを崩して喘いでいる。


若林奮『1-1-4』

2021-05-10 06:41:20 | 美術ノート

   1-1-4 〔無題〕Untitled

 床に上向きに横になり膝を立てた少女の口とセミ(?)との交感が、空気感が固体化されている。
 つながっている、ということだろうか。同じ空間に生きている、つまり少女もセミ(小動物・生物)も同族であり、今を、同じ空気を享受して生きていることの具体化だろうか。

 生きて存在するものの原初・・・今、形を変化し別種になっているものの遥か遠い原初の眺望かもしれない。
 不自然に見えるものとの共通性、共感すべき連鎖の糸を手繰り寄せる幻想。

 暴力的な接合である。
《輪廻》、存在の根源、原初は時間を無視しているほどの遠い距離である。元素、原子に帰す時点にまでさかのぼらないと理解は難しい。

 しかし、作家は時間と空間の中の同時性、生命連鎖の鍵を解放して見せている。非現実から現実を探るという手法である。
 今を生きるものを同列にし、主従を解放している。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3647。

2021-05-10 06:19:52 | カフカ覚書

わたしのような境遇にいると、継ぎのあたってない、こざっぱりした服を見ただけで、りっぱなものだとおもってしまうのです。あなたが夜中にあそこの廊下でほとんど服らしいものを身につけていない男たちのあいだにあんな美しいイヴニング姿でであらわれたのを見て、すっかりびっくりしてしまっただけのことで、それ以上の他意はなかったのです。


☆わたしにとっては何も繕わないで現れても、立派な氏族なのです。無である来世のやり方で、全く何も知らされていない人たちですから、すごく美しい終末(死)に包まれているのを見て、ただもう驚いてしまったのです。それ以上ではありません。