続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)色変へて。

2021-05-24 07:12:01 | 飯島晴子

   色変へてわが骨の過ぐ桔梗畑

 色変へてはシキ・ヘンと読んで、私記、返。
 わが骨の過ぐ(我骨過)はガ・コツ・カと読んで、芽、骨、果。
 桔梗畑はケツ・コウ・ハタと読んで、結、講、将。
☆私記は返(元に戻る)芽(きざし)が骨(物事の芯になるもの)である。
 果(結果)を結ぶ講(話)が将(もしかして)。

 色変へてはショク・ヘンと読んで、食、偏。
 わが骨の過ぐ(我骨過)はガ・コツ・カと読んで、我、忽、可。
 桔梗畑はケツ・キョウ・ハタと読んで、決、況、機。
☆食の偏り、我(わたくし)は忽(おろそかにしている)が、可(よいと決めたこと)を決(きっぱりと決める)機(心の働き)がある。

 色変へてはシキ・ヘンと読んで、識、弁。
 わが骨の過(我骨過)はガ・コツ・カと読んで、我、乞、化。
 桔梗畑はケツ・コウ・ハタと読んで、結、講、将。
☆識(物の道理を見分ける)弁(言葉)を我(わたくし)は乞(願う)。
 化(形、性質を変えて別のものにし)結びつける講(話)がある、将(もしかして)。


若林奮『振動尺試作 小Ⅱ~Ⅷ』

2021-05-24 06:38:10 | 国木田独歩

   振動尺試作  小Ⅱ~Ⅷ

 振動尺とは何だろう。振動波には形はない、空間を伝わる、あるいは押すエネルギーは目に見えない、在るが無いものである。

 それを形状に置換する。無謀な試みであるが、結論のプロセスには仮定は必須条件である。
 けれど誰も見たことのない振動尺、振動には確かに波の高下があるが、尺という単位に言及はない。
 物質には元素という明確な最小要素があるが、見えない空気感の最小単位は精神界の領域であって物理の領域に還元できないのではないか。
 それを敢えて《こんなもの》だと差し出す。誰も否定できず、促されるまま肯定を余儀なくされる問題作である。

 振動尺という言葉自体耳慣れないが、それには質量があると提示される。奇妙な違和感はその質量に対する疑惑である。不思議な感覚・・・作品を目の前にして、作品との距離を感じる。

 振動尺の異種、それぞれの差異、振動(空気)への厳密な眼差し。質量に置換した驚異、決定はなく試作であるという提示を受け止めざるを得ない。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3657。

2021-05-24 06:29:41 | カフカ覚書

衣裳部屋は、部屋の大部分の場所を占めていた。長いほうの壁をすっかりふさいでいただけではない。奥行きも深いので、部屋がひどく狭くなっていた。これをすっかりあけるには、引き戸が三枚必要だった。


☆排他的社会層の要求で大部屋は占領されていたが、完全に満たすことはなかった。狭い奥のほうに行くと、多くの先祖が問題になっていた。十分に自由(解放)になるには、三人の愚人を倒すことが必要だった。