続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)墓へ来て。

2021-05-12 07:13:07 | 飯島晴子

   墓へ来て多少は軽い柿となれり

 墓へ来てはボ・ライと読んで、簿、頼。
 多少はタ・ショウと読んで、汰、章。
 軽い柿となれり(軽柿為)はケイ・シ・イと読んで、系、試、意。
☆簿(ノート)を頼りにし、汰(選び分ける)章。
 系(つながり)を試す意(考え)がある。

 墓へ来てはボ・ライと読んで、母、頼。
 多少はタ・ショウと読んで、太、傷。
 軽い柿となれり(軽柿為)はケイ・シ・イと読んで、恵、私、畏。
☆母は頼もしく太(きわめて大きい)傷(心を痛める)恵(慈しみ)がある。
 私は畏(心から敬っている)。

 墓へ来てはボ・ライと読んで、墓、礼。
 多少はタ・ショウと読んで、詫、唱。
 軽い柿となれり(軽柿為)はケイ・シ・イと読んで、経、施、慰。
☆墓に礼(敬意をはらう)。
 詫びて唱える経。
 施し、慰めている。
 


若林奮『1-2-1 残り元素』

2021-05-12 06:20:50 | 美術ノート

   『1-2-1 残り元素』

 残り元素? 万物の基本的な構成要素、化学的に分解して得られる最小の要素の《残り》って? まだまだ人工的に作ることが残っている?
 与えられたとせよ、ではないが、最初から最後まで有るのが元素ではないのか。
 元素の残りなんて言うものがあるのか、考えたことがない。

 人間は浮いているのか、非常に安定を欠いた状態葉であり、よく見ると手足が欠けている。つまり、どうにもならない不測の事態である。その背後に砲弾のような重機があり、これもそれらしい塊と化している。

 破壊・破滅・・・世界の終わりを象徴したような、否、一歩手前、崩壊寸前の事態である。というか、すでに滅亡の残骸なのだろうか。

 精神は失われている。物理的再生に可能性を見いだせない。見える景色は《絶望》だけである。
『残り元素』とは世界の終わりの眺望を覗き見たものかもしれない。始まりがあれば終わりがあるという前提のもと、希望の欠如した予測めく光景である。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3649。

2021-05-12 06:13:57 | カフカ覚書

あなたが衣裳のことは門外漢だとおっしゃるのは、ほんとうだわ。しかし、それなら、これはさっきも本気でお願いしたつもりですが、りっぱな服がどうのとか、不似合いなイヴニングとかいうようないいかげんな判断をくだすのはやめてください。


☆氏族を理解できないのはわかります。その場合、まじめな氏族とか、不適当な氏族とかいうようないい加減な判断を下すのはやめてください。