続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

「ポラーノの広場」223。

2014-01-28 06:22:23 | 宮沢賢治
わたくしはまたうやうやしく礼をして室を出ました。それから席へ戻って机の上をかたづけて、そっと役所を出かけました。


☆霊(死者の魂)を質(問いただし)、推しはかる。
 析(分けることで事柄を明らかにする)霊(死者の魂)を記(書き留める)。
 常に訳(ある言語を他の言語で言い換える)の諸(もろもろ)を推しはかる。

「城」1518。

2014-01-28 06:05:06 | カフカ覚書
それ以外のことを主張するなんて、こちらの言葉を悪意をもってゆがめているのですわ」
「そういうことでしたら、お赦しを願わなくてはなりません、お内儀さん。

 それ以外/anderes→ende/死。
 言う/gesagt→Sage/伝説。

☆この伝説は誰かが、死についての言葉を悪意をもってゆがめているのです。そういうことでしたら、とKは言った。

『ズビネック・セカール展』②

2014-01-27 06:58:19 | 美術ノート
 この作家を知らず友人を誘うにも、この作家の名前を正確に発音できないほど、耳からの情報も聞き覚えも無い。怠情を圧して訪れた近美/鎌倉別館。

 ズビネック・セカール・・・作品に漂う強い寂寞、震撼とするような深い孤独の空気感に、一瞬顔を背けたくなるような反感を覚えたが、それにもかかわらず、背中を引っ張る圧倒的な引力がわたしを惹きつけた。

 明るさや陽気とは無縁である。愉しく弾むようなリズムも刻まれていない。
 重く、暗いのである。けれど、静かに響く存在論的な叫びが聞える。木霊していると言ってもいいかもしれない。

 作品は平衡を保っているが、どこか歪で、不安を搔き立てる。隠している、何か本心を隠しているようなバリアが張られていて覗けない秘密がそこに内在している。

 この重さを量りかねてじっと凝視せざるをえない。作品の隙間に烈しい慟哭があるからである。離れても遠のいても追いかけてくるような旋風がわたしの中で舞い上がり、セカールという作家の執念に恐怖したほどである。

 セカール作品に垣間見えるカフカの影。恋しくも切ないカフカの香り・・・。


 おまえは、最大の課題にただ触れるだけでもいい、その課題の迫ったことをかぎつけるだけでいい。それが存在することを夢みるだけでいい、せめてこの夢想をこい願うだけでいい、願いのための文字を習うことから始めてもいい、と言う。(『カフカ全集』3より/翻訳者・飛鷹節/新潮社刊)

『ポラーノの広場』222。

2014-01-27 06:33:08 | 宮沢賢治
「はい、ございます。」わたくしはまっすぐに両手を下げて答へました。所長は安心したやうにやっと顔つきをゆるめてちらっと時計を見上げましたが
「よし、すぐ行くやうに。」と云ひました。


☆霊(死者の魂)の衆(人々)の果(結末)は、等(平等)である。
 諸(もろもろ)の懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)の案(考え)を審(つまびらかにする)。
 信仰の慈(いつくしみ)や恵みを願い、照(あまねく光があたる=平等)の考えを運/めぐらせている。

『城』1517。

2014-01-27 06:16:40 | カフカ覚書
だのに、この人がわたしの言うことを信じないで、いつまでもクラムのところへ押しかけていけるとおもっているのなら(なぜそんな希望をいだくのか、わたしには理由も目的もわかりませんが)、せめて頼みの綱になるのは、この人の気持になって考えてあげると、クラムとのあいだにあるこの唯一の、ほんとうの職務上のつながり、つまり、この調書だけです。わたしが言ったのは、ただこれだけの事実です。

 信じる/glaubt→grauen/灰色になる、恐怖、戦慄。
 職務上の/amtliche→endlich/乏しい。
 
☆彼がわたしに恐怖を覚えないで、いつまでも(なぜ、何のためにそんな希望を抱くのか知らないけれど)クラム(氏族)のところへ突き進むのかしら。わたしの感じ(直感)では、多くの先祖が本当に乏しい結びつきなのか、助言できるのはクラム(氏族)とともにあるこの記録だけです。

『ズビネック・セカール展』

2014-01-26 06:41:55 | 美術ノート
 作品群は、静かなる衝撃である。

 ギャラリーTomの館長さんである村山治江さんが、作家(セカール)に「芸術とは何ですか」と問いただした所「わたくしの意思です」という風なことを伝えたらしい。そして、「作品を解釈してほしくない」とも・・・。

 自身の意志、核心・・・。たとえば自分の生理、エロスについて他人から解釈などされたくないと思うのは当然である。傷つきやすい弱点を触られるのも遠慮願いたい。
 自身の暗部の深さは語れない。しかしこの作家、ズビネック・セカールは敢えて曝して告発している。血を流した傷跡は、慟哭なくして辿ることは難しい。
 作品群は鑑賞者を寄せ付けずして、呼んでいる。痛みのある会場の空気感、緊迫はわたしを刺激して止まなかった。


『無題』木
 開かれているように見えるが、閉ざされた私的空間(世界)の妙。
 世界は開かれているという観念的な前提、《しかし、どうだろう》と作家は自問する。確かに閉ざされているわけではない。明らかに向こうの景色(世界)の存在や動向は見て取れるから、こちらから出向くことも可能だし、あちらでもこちらを見ている風でもある。風は通り抜けていく、つまり同じ時空の存在という条件下なのである。身体(自身)を曲げる、主張を少し歪めれば幾重の囲いは容易に抜け出ることができるかもしれない、前後左右天上の柵は通り抜け自由なのである。
 細い木で括られた囲いは守るべき壁にしては貧弱で、災害や人為的攻撃に耐えるものでもない。
 見られているが見ることもできる、しかし、わたくしはわたくしである尊厳が見えない囲いによって、存分に動けるだけの自由しか与えられてないのではないかと考え込んでしまっている。


 門は、こちらとあちらを隔てる境界である。同じように見える空気でも、つながっているわけではない。ここに偶々門というものが置かれているのではなく、それは人間の知覚の働きによる一つの主張なのである。
 聖域だろうか、堕落だろうか・・・世界は開かれている。この厳粛な門(通過点)の持つ意味は人智の極みである。


 存在論的な痛みや生きて在ることの身を切り血を流した声なき声がわたしの中で響き渡り、会場を去ろうとするわたしに纏わりついて離れない。セガールの背後にはカフカもいたかもしれない。セカールは、つぶやくような小さな声で、世界に響き渡るような叫びをあげていたのかもしれない。

 水沢館長さん、TOMの村山館長さん、ありがとうございました。

『ポラーノの広場』221。

2014-01-26 06:31:23 | 宮沢賢治
「あゝ、あのデステゥパーゴのことだなこれはおもしろいと、わたくしは心のなかでわらひました。すると所長はまだわたしの顔付きをだまってみてゐましたが
「心当たりがあるか。」と云ひました。


☆申べていることは、諸(もろもろ)重なっている。
 信仰は普く真(嘘偽りがない、誠)であり、等(平等)について、運/めぐらせている。

『城』1516。

2014-01-26 06:06:33 | カフカ覚書
これ以上はっきりしたことってあるでしょうか。さらに、わたしから言うと、この調書は、この人がクラムとのあいだにもつことのできる唯一の、ほんとうの職務上のつながりなんです。これも、しごくはっきりした、疑う余地のない事実ですわ。

 唯一の/einzig→Ahn zig/先祖、多くの。
 職務上の/amtlich→entlich/決定的な。

☆これ以上はっきりしたことってあるでしょうか。この記録はクラム(氏族)とのあいだにもつことのできる多くの先祖との、しごく決定的なつながりなんです。十分暗示された疑う余地のない事実なんです。

緊張感。

2014-01-25 07:04:12 | 日常
 束縛の希薄な自由な毎日、緊張感の欠片もない。

 胸に去来する諦念。終末、黄昏、巡りくる春はないという寂寞。

 このまま老いていいのだろうか・・・。

 先日「手工芸品展」の会場で、
「先生、いつまでもお綺麗ですね」とわたしが声を掛けると、
「わたくし今年の一月に、87才になりました」と、わがサークルの講師は言った。
 傍らにいた数人から「ホォーッ」と声なき声が上がり、
「わたしの二つ上です」と洩らした婦人を見て、歴然とした差異に内心驚愕してしまった。
 普通に、ごくナチュラルに年を重ねた婦人と、常にお洒落に気を配ってきた我が講師との、華やかさの違い・・・。

 化粧を落とし、同じような着衣に身を包んだなら、大した相違はないのかもしれない。
 
 家庭内の円満や家族への気配りに邁進したであろう人の清々しい笑顔と、戦うほどの熱意を持ってお洒落に邁進したであろう人には、相違がある。


 もとよりだらしない人間であるわたしに、《どちらが》などと言うおこがましい意見はあるはずもないけれど、お洒落を忘れた緊張感のない生活に甘んじてはいけないと、チクリ。

『ポラーノの広場』220。

2014-01-25 06:47:15 | 宮沢賢治
     一九二七年六月廿九日
   第十八等官 レネーオ キュースト殿
とあったのです。


☆逸(かくれている)句(ことば)は、普く死地への念(思い)をである。
 録(文字に書き記す)は二重に句(言葉)を化(形、性質を変えて別のものになる)にしている。
 題(テーマ)は、等(平等)な永遠で当(あるべき)と感じ、伝えている。