ペーパー・写・楽

ペーパークラフト、京都の写真、カブ、自転車、軽自動車で楽しんでいます。

もうすぐ出発。

2009-09-19 02:29:02 | 日記
 震度1~2の地震が目覚まし替わりになった。
今から信州に行く予定。
カブじゃない。車で。


 そういえば高速道路千円になって初めて利用。
今の時間だから空いていると思うけど、大型連休初日なので
どうなることやら。

リポートはのちほど。

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つぶやき

2009-09-18 08:12:16 | 支離滅裂のつぶやき
支離滅裂のつぶやき。

 大臣が議会審議による議論の結果を踏まえず次々と愚作
マニフェストで廃止、中止を発表。
脱官僚?というより脱民主主義の始まり始まりー。

 以前、人間ドッグを受けたとき、結果問診で「あなたは、
梁山泊が出ています」と言われた。
ん?健康と水滸伝は関係あるのか?
で、聞きなおした。
「尿淡白」だった。しょぼん。

 治山治水を行わない政治家は20年後には確実に馬鹿にされる。
50年後に評価される政治家が本物。
ダム水没とは関係の無いア○市民団体の声だけ聞き、当事者
と関係都府県に耳を傾けないア○新大臣。
地元出身で以前は応援してたのにー。

 事務次官の記者会見中止。
言論統制による新型強権社会主義ウイルスの始まり始まりー。

 カブで海沿いを走ると「ちくわの炭火焼き」を見かけるが、
カタカナ表記はやめて欲しい。
「チクワの炭火焼き」が、遠くから見ると「チワワの炭火焼き」
に見えてしまう。
かわいそ。

 強権ペテン師小佐和と友愛詐欺師鳩ぽっぽに怯えて、何も
反論しない烏合の衆。見猿、言わ猿、聞か猿の能力無しの集まり
集まりー。

 連合政治を目指し、間違えて、みずほ銀行福島支店を閣僚に
入れてしまう大きなミス。

・・・・・

日本人は急激な変化は好まない。
以前より少し良くなったのを好む。
高速道路も土日千円のちょっとした楽しみのほうが好き。

母子手当て、子ども手当ても、他の人より少し優遇がいい。

すべて大きく振舞うと反面に控える不安のほうが勝ってしまう
のが日本人。

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白雲稲荷神社へお参り

2009-09-17 19:44:03 | 神社
 昨日は飲み会。
カブは駐輪場へ置いたままなので、本日は地下鉄出勤。

出勤方法が変わると時間の感覚が狂ってしまう。
松ヶ崎駅まで歩いていったが、どうも時間が余りすぎる。
ちょっと寄り道で松ヶ崎大黒天の隣にある白雲稲荷神社へ。


北山通りの一本北側の道。
昔は北山通りが無かったので、この道が本通りだった。
今は車も人も少なく歩きやすい。


松ヶ崎大黒天の入り口。
この奥に白雲稲荷神社がある。


薄暗い階段。




白雲稲荷神社の拝殿と本殿
御祭神:稲荷尊、鬼子母神、牛の宮
    安産と火の用心の守り神。

由緒書:御神託に依り東松ヶ崎は井戸掘りと牛の飼育を禁ぜられていた。
    その旨により「牛の宮」が鎮座されている。
    農家は昔から馬を飼育し、農耕に従事してきた。昭和の初期まで
    は、今の参道で祭りの当日競馬を盛大に行った。
    井戸は、妙円寺西参道下に只一箇所の井戸のみで、大正十五年
    上水道が敷設されるまで農家の生活用水として使用されていた。

拝殿は京都御所の能楽殿を下賜され再建された由緒ある建築物。

紀貫之が「たなびかぬ 時こそなけれ 秋も又 松ヶ崎より 見ゆる白雲」
と詠っている。

手水石。
手水石。


これも手水石と思われるが、なぜ丁寧に囲まれているのか謎。

上の山が大文字の「法」の山。
大黒天にも行きたかったが、時間がなくなってしまった。
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神明神社へお参り

2009-09-16 23:21:04 | 神社
 綾小路通りの高倉から東洞院の間に神明神社がある。
綾小路通りは四条通りの一本南にあるが、かなり道は細い。
神明神社も街中の狭い敷地に建っている。


柳ノ馬場通りに提灯屋さんが2軒並んであった。
提灯好きとしては見ていてあきない。




神明神社。
平安末期、近衛天皇(約850年前)が、しばしば皇居とされた藤原忠道(摂政)
の屋敷後で四条内裏または四条東洞院内裏ともいった。
この邸内にあった鎮守の杜が神明神社である。

ここには矢じりが二本伝わっている。社伝によると、近衛帝の時、頭は猿、尾は
蛇、手足は虎の鵺(ぬえ)という怪獣が夜毎空に現れ都を騒がせた。
これを退治せよと命を受けた源三位頼政は、神明社に祈願をこめ、みごと退治した。
その御礼に奉納したとのこと。
というわけで、神明神社は厄除け、火除けの神様である。


9月11日に訪れたときは、祭りの準備の真っ最中であった。
神殿に神輿が置かれていたので、一枚撮らしていただいた。


手水舎。
湧き水ではなく、水道みたい。


屋根瓦。
桜の文様があしらってある。


文子天満宮。
神明神社には、豊園小学校内に祀られてあった文子天満宮の祭神が戦後合祀されて
いる。
文子(あやこ)さんは北野天満宮創建の功労者。
よく間違われるのだが、文子天満宮は文子さんを祀ったのではなく、文子さんが
祀った天神という意味とのこと。
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京都大神宮と小さな大神宮へお参り

2009-09-15 19:26:56 | 神社
 寺町四条を少し南に行くと京都大神宮がある。
大神宮といっても街中。そんなに広いところでもない。
元一条家の書院を移築したものということで行ってみることに。




御祭神:天照皇大神、豊受大神、他八柱の大神

御神徳:家内安全、無病息災

明治6年に伊勢神宮より内宮、外宮を奉迎。
社殿は元一条家の書院を移築したもので、当初神風講社として発展した。
戦後、京都大神宮となる。
(京都府神道青年会のHPより)


南側の壁面にはびっしりと古い看板?


屋根には桜の彫り物。


手水舎は立派。


手水舎の奥に「手洗屋形」と彫られた石が。
下のほうにも文字が書かれているが読めない。


末社の稲荷神社。

・・・・・

地図をみると、東洞院通りの蛸薬師と錦通りの間にも大神宮が
あるようになっている。
探検探検。


東洞院通りの錦を少し北へ歩いてみた。
神社らしきものは無い。


左側(西側)の路地をみると奥の方に鳥居が見えた。
昭和をかんじさせる民家と工事中のマンションに囲まれている。




奥に進むと左手に”大神宮”と書いてあった。
そこには御鎮座明治二十五年と記されていた。


ありました小さな祠。


大神宮本殿。
謙虚な感じがする。

こういった小さな神社はPSPのみんなの地図2で探している。
ゲームマシンとあなどってはいけない。
あと地図としては国土地理院の2万5千分の1も結構鳥居のマークが
載っている。
京都市内の鳥居マーク全制覇をやってみたい。

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