白川通り花園橋を大原方面に右折。
蓮華寺を通り過ぎてすぐのところに入り口が見える。
バイクか自転車ならば数台置けるスペースがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/78/a07db5adc886cfd27d868ecb0575a216.jpg)
崇道神社。
参道はうっそうとしており、昼間でも薄暗い。
奈良末期~平安初期の皇族、早良親王を祀る。
早良親王は、光仁天皇・高野新笠の子で、桓武天皇の実弟である。
延暦4年(785)、長岡京の造営長官だった藤原種継(ふじわらたねつぐ)が
暗殺された事件に連座したとして乙訓寺(長岡京市)に幽閉されたが、親王
は無実を訴え飲食を拒み淡路島へ流される途中憤死。
その後、桓武天皇の近親者に死が続いたこと、また都に悪疫が流行しはじめ
ると、貴族や庶民の間で親王の崇りとの噂され、その怨霊を鎮めるため延暦19年
”崇道天皇”と追号を贈り、高野村のこの地へ親王の御霊を祀る神社を創建。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/6b/2e0a2261fce81715a79a4beb631e21f4.jpg)
参道は涼しい。
途中に朽ちかけたベンチがあり、座ってみると心地いい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/8f/905c5ddb9dce0e2ce59fe147e0cc2002.jpg)
手水舎の水はこんこんと流れている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/58/e09703a12901f70934a17b3c809e96a3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/59/e86032c38b27541fd36f04a8d15ddbc5.jpg)
狛犬。
苔が生え、勇ましさが増している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/6c/21d23c54b7319293eb390e6384d30971.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/40/cc5b53937df05cee35ba180e620590df.jpg)
本殿。
昼間でも電灯で照らされている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d4/91fc43f2c93834f907f2b3c79393f3c4.jpg)
伊多太神社。
御祭神:伊多太大神
崇道神社本殿への階段西側にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/52/957f78aff35335c9f6270bb3f582b341.jpg)
小野神社。
御祭神 小野妹子・小野毛人
小野毛人は最初の遣隋使小野妹子の子で天武6年(677)に没したとされる。
慶長18年、崇道神社境内の上高野一帯を見渡す山腹から鋳銅製の墓誌が
発見され、この墓が小野毛人を埋葬したものであることが明らかになった。
大正3年墓誌は国宝に指定され現在京都国立博物館に保管されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/af/15f5c3b142f1cb8a0b7f29c24ff3f174.jpg)
打たせ滝。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/24/9aaf923726009fca2df23c3d9f33093d.jpg)
てっぺんが徳利?の形をした灯篭が多くあった。
・・・・・
大原へ行くときに、いつも通り過ぎていた神社。
訪ねてみると遣隋使の時代のものが発見されていたりで、深ーい歴史の
ある山だと関心する。
深呼吸すると、その時代の空気を吸っているような感覚になる場所である。
蓮華寺を通り過ぎてすぐのところに入り口が見える。
バイクか自転車ならば数台置けるスペースがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/78/a07db5adc886cfd27d868ecb0575a216.jpg)
崇道神社。
参道はうっそうとしており、昼間でも薄暗い。
奈良末期~平安初期の皇族、早良親王を祀る。
早良親王は、光仁天皇・高野新笠の子で、桓武天皇の実弟である。
延暦4年(785)、長岡京の造営長官だった藤原種継(ふじわらたねつぐ)が
暗殺された事件に連座したとして乙訓寺(長岡京市)に幽閉されたが、親王
は無実を訴え飲食を拒み淡路島へ流される途中憤死。
その後、桓武天皇の近親者に死が続いたこと、また都に悪疫が流行しはじめ
ると、貴族や庶民の間で親王の崇りとの噂され、その怨霊を鎮めるため延暦19年
”崇道天皇”と追号を贈り、高野村のこの地へ親王の御霊を祀る神社を創建。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/6b/2e0a2261fce81715a79a4beb631e21f4.jpg)
参道は涼しい。
途中に朽ちかけたベンチがあり、座ってみると心地いい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/8f/905c5ddb9dce0e2ce59fe147e0cc2002.jpg)
手水舎の水はこんこんと流れている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/58/e09703a12901f70934a17b3c809e96a3.jpg)
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狛犬。
苔が生え、勇ましさが増している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/6c/21d23c54b7319293eb390e6384d30971.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/40/cc5b53937df05cee35ba180e620590df.jpg)
本殿。
昼間でも電灯で照らされている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d4/91fc43f2c93834f907f2b3c79393f3c4.jpg)
伊多太神社。
御祭神:伊多太大神
崇道神社本殿への階段西側にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/52/957f78aff35335c9f6270bb3f582b341.jpg)
小野神社。
御祭神 小野妹子・小野毛人
小野毛人は最初の遣隋使小野妹子の子で天武6年(677)に没したとされる。
慶長18年、崇道神社境内の上高野一帯を見渡す山腹から鋳銅製の墓誌が
発見され、この墓が小野毛人を埋葬したものであることが明らかになった。
大正3年墓誌は国宝に指定され現在京都国立博物館に保管されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/af/15f5c3b142f1cb8a0b7f29c24ff3f174.jpg)
打たせ滝。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/24/9aaf923726009fca2df23c3d9f33093d.jpg)
てっぺんが徳利?の形をした灯篭が多くあった。
・・・・・
大原へ行くときに、いつも通り過ぎていた神社。
訪ねてみると遣隋使の時代のものが発見されていたりで、深ーい歴史の
ある山だと関心する。
深呼吸すると、その時代の空気を吸っているような感覚になる場所である。