ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

淀屋橋-スケッチ&コメント

2006-01-29 23:18:17 | スケッチ
日本銀行大阪支店を背にして土佐堀川をまたぎ正面ミズノ本店、その
右に住友ビルと続くが、画面左に川を渡している橋が淀屋橋であり、
その橋の絵を先日仕上げた。

この絵のオリジナルは、4号の小さな日本画である。実は、淀屋の歴史を
30年近く研究しておられる作家の新山通江様にプレゼントしたいと密かに
考えていた。ご本人にはまだそのことを話していない。

淀屋橋の河畔に「淀屋の屋敷跡」という石標が立っている。
淀屋を広辞苑で引いた。江戸時代の大坂の豪商。はじめ材木商、後に糸割符
〈いとかっぷ〉といい、外国の生糸を一括購入する権利を獲得し、諸大名の
蔵元となる。その五代目が辰五郎とあった。

淀屋辰五郎について同じく広辞苑は以下記している。元禄時代の大坂の豪商。
豪奢を極め、後追放され,八幡の地を下付され、余生を送ったとある。

新山通江著『淀屋考千夜一夜』(たま出版)によれば、淀屋が遠祖から
石清水八幡宮と深い関わりがあった。あの忠臣蔵の大石家もそうで、
大石良雄の遊蕩を影で支えたことは十分考えられると書いておられる。

淀屋を世界的に有名にしているのは、世界に冠たるシカゴの商品取引所の
入り口正面のプレートに、デリバティブ〈先物取引〉の仕組みは、
淀屋の米相場のシステムに全て習ったとの記述があるそうだ。

さらに驚くべきことにオランダアントワープの証券取引所の同じく
玄関のプレートにジヨアン・ヨドャの記述があると聞いた。淀屋常安のことと
思われるが彼は淀屋の家祖である。常安が先物取引のノーハウをアントワープに
既に学んでいたことは十分想像できる。

淀屋橋を渡るなかでいかほどのひとが淀屋の歴史に思いをはせて
いるのであろうかと思う今日このごろである。(了)



Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3  C0071 1905E 
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)


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