【インターネットが変えたもの】(1)大衆の声 意識する中国(産経新聞) - goo ニュース
2007年10月12日(金)02:52
昨年冬のこと。北京の繁華街・王府井の一角で、数十人の若者がいきなり集まったかと思うと、おもむろに風船をふくらまし、一斉にそれを空に飛ばして「安全はコンドームから」と叫んで、つむじ風のように逃げ去った。
いったい何事か、と多くの通行人がぽかんとしていた。それが、世界エイズデーにあわせたフラッシュ・モブ(中国語で快閃族)であったと、後で知った。
フラッシュ・モブとは、ネットやメールを介して見知らぬ人同士が決められた時間、場所で電撃的に集合し、一瞬だけ同じパフォーマンスをして、さっと解散する行為だ。欧米ではゲーム、アート感覚で楽しむ若者が多いが、集会の自由が認められていない中国では、公安当局の虚をついてデモ、集会を行う手法として広まっている。
今年6月1日に福建省アモイ市政府による化学物質パラキシレン・プラント誘致に反対する市民デモは、フラッシュ・モブと同じようにネットや携帯電話メールで呼びかけられた。このデモで、アモイ市政府はプラント誘致計画を差し止めざるを得なくなった。
インターネットで、中国の何が変わったかといえば、こんなふうに大衆に“発言力”と“行動力”を与えたことが大きい。
中国では公式メディアは「党の喉舌」(宣伝機関)と呼ばれ、大衆の代弁者ではなかった。言論、出版、報道、集会、デモなどの自由に制限が設けられ、大衆が本当に自分の意見を公にする場は基本的になかった。
ところが、匿名性と双方向性を特徴とするネット上では、大衆は本音を吐露し、同志を募って意見を広め、最近ではフラッシュ・モブのような手法で、不特定多数の人を現実の行動に誘うことも可能だ。これは“ネット世論”として大きな影響力を持つようになった。
さらに党の宣伝機関だった公式メディアまでが連動するようになり、影響力が拡大している。公式メディアも経済の市場化の中で、党の意向より“世論”を重視し、読者や視聴者を増やさねば採算がとれなくなってきたからだ。今年6月に発覚した山西省洪洞県のヤミレンガ工場による未成年者らの人身売買・強制労働事件は、ネット世論と公式メディアの連動によって、隠蔽(いんぺい)されかけた事実を暴き、ついには中央政府まで動かした。
この状況に危機感をもつ当局側は、ネットと既存メディアの締め付けを強化しようと、ここ数年、規制強化の条例、通達を連発している。
だが中国のネット人口は2007年6月末で1億6200万人に達し、この5年で3倍以上の急増ぶりだ。膨大なブログやチャット、掲示板の書き込みを完全に統制するのは無理というのが現実だ。
現にブログの完全実名登録制を強制するといった案は、それ自体がネット世論の強烈な反発にあって立ち消えになった。たとえネット統制が強化されても、ユーザーはすぐに抜け穴をみつけるイタチごっこなのだ。
そこで共産党は今年1月、政治局集団学習会で党の政治宣伝にネットを積極利用する方針を打ち出した。党が発信する情報がネット上に増えれば、ネット世論を党がリードすることができる、という理屈だ。
これはこれでミモノだろう。というのも、ネットは双方向性が特徴だ。
新聞・テレビのように一方的に発信するだけではなく、その発信内容に対しては批判や評価が容赦なくぶつけられるのだ。共産党の意見がネット上で大衆の反応に直にぶつかり、大衆の心を本当につかもうとその方針や政策を練りなおせば、それは党自身の変革につながるのではないか。
ネットが共産党を変えた、一党独裁を変えた、と記事に書く日が、さほど遠くない将来、来るかもしれない。そう思いながら、ネットサーフィンにいそしむこのごろである。(中国総局 福島香織)
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インターネットの登場が社会にもたらした変革は、はかりしれないほど大きい。かつては絵空事でしかなかったことが、インターネットを通じて簡単に体験することが可能となった。産経新聞は今月から、「MSN産経ニュース」をスタートさせたが、これを機に、ネットは世界をどう変え、人間の営みにどんな恩恵を与え、そして人間の価値観をどう変えたのか-を担当記者が伝える。
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20年ほど前の中国では、人の命は日本円の12万円程、と聞かされた。
車をガードレールにぶつけると20万円の罰金刑を喰らうが、人の命は12万円なので、ガードレールにぶつけるより人にぶつけたほうがマシ、と言う時代があった。
行政が規律を変える時も、きょうの新聞に掲載して、明日から施行、という理不尽なものだった。
わずか20年の間にこんなに変革されるとは、誰もが夢にも思わなかっただろう。
中国だけではない。
この2~3年で、日本の社会もネットに動かされいる。
今までは秘密にできた横領やワイセツが、タイムリーにネットに流れるので、政治も医学も今までのような隠し事が出来なくなった。
これはいいことである。
しかし、喜んでばかりはいられない。
一方では、ネットで被害を受けている人も多いし、死亡事件に巻き込まれた人も
おり、バーチャルの世界と現実の区別がつかなくなりそうな子どもたちも増えた。
ネットからの情報だけで、「知識や経験が増えた」と錯覚する人もいる。
ネットの利点だけを残し、害になる点を消そうとしても、中国の試みのように上手くいかない。
もう、ネット社会を変えることは誰にも出来ない。
8年程前、アメリカの友人が訪ねて来た時、しきりにネットを勧めていた。
「ネットは一種の産業革命なので、絶対ネットをしていたほうが仕事の有利になる、これはどんな職業にも言えることだから、絶対にネットを始めるべきだ」と。
それからしばらくして、パソコンに明るいスタッフが入ってきた。
長年使っていたワープロが、壊れそうなサインを出していたので、そのスタッフに「ワープロを買いたいのだが、どんなのがいいのかな?」と訪ねたら、笑いながらこう答えた。
「今はワープロなんてどこにも売ってないですよ、パソコンの中にワープロがありますから、わざわざワープロを買う必要がないんです」と言う。
狐に摘まれたような気分になったが、パソコンは別の仕事で5台ほどあったので、それらを使おうとも考えたのだが、そのスタッフに相談し、そのスタッフの勧めるままにノートパソコンを買い、ネットにつないだ。
それから私の産業革命が起った。
朝起きたら、テレビより先にネットを見る習慣になり、ネットのニュースが優先になった。
1、2泊の出張でもパソコンがなければ不安なので、パソコンを持ち歩く自分になってしまった。
心まで完全にネットに変えられてしまった。
中国共産党が、どんなに躍起になっても、人民の心も完全に変わってしまった今、もう昔へ戻すことは出来ない。