ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

器と食を楽しむ:陶芸家・田中和人作品展

2007-10-13 08:44:13 | スケッチ


器と食を楽しむ:陶芸家・田中和人作品展

江嵜企画代表・Ken



 「器と食を楽しむ」:陶芸家・田中和人作品展が、お馴染みの
「神戸酒心館」(078-841-2612)で開かれるという案内を、当の田中和人さん
からいただいたので楽しみにして出かけた。 器の展示・販売も同館
ギャラリーで、10月14日まで開かれている。

 20名限定で、昼の部は@7,000円、お土産に、田中さんお手製の
木器窯(こうづきがま)の、ぐい飲みつきである。それに飲み放題と来た。
そこまではいいとして、次々と出てくる料理が明らかに予算を度外視した
珍味、ご馳走の連続にたまげてしまった。

 手前テーブルの後ろには、料理長の姫井隆之さんが、自ら料理をし、
盛り付けをしておられるではないか。飲み放題に気を許して、手元不如意だったが、
この場を逃しては一生の不覚、委細構わずスケッチを敢行した次第である。

 宴たけなわの中を見計らって、田中和人さんの話がはじまった。

 縄文人の焼きものは、女性の作品だ。実に力強い。力強いのは女である。
男は狩猟に明け暮れていた。明日食えるかどうか分らぬ身、そこに祈りがある。
祈りが縄文土器の模様になった、と田中さんの話が白熱してきた。

 窯の中で、粘土は、酸素を欲しがるそうだ。同じうわぐすりで、酸化すると
器は緑になる。還元されると赤になる。酸素の量の違いで、出来上がりで、
青くなったり、赤くなったりするという話を引き込まれるように聞いた。

 田中さんに知己を得て、工場を見せていただく予定だった。ところが、その直後の
地震で沙汰止みになったままである。田中さんの工場には、登り窯が5つある。
是非一度見せていただきたいと思っている。

 午後1時からはじまって、気がついたら3時を過ぎていた。「器と食を楽しむ」す
ばらしい
機会に恵まれたことに、感謝、感謝である。(了)


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【インターネットが変えたもの】(1)大衆の声 意識する中国

2007-10-13 08:25:16 | Webニュースより
【インターネットが変えたもの】(1)大衆の声 意識する中国(産経新聞) - goo ニュース


2007年10月12日(金)02:52

 昨年冬のこと。北京の繁華街・王府井の一角で、数十人の若者がいきなり集まったかと思うと、おもむろに風船をふくらまし、一斉にそれを空に飛ばして「安全はコンドームから」と叫んで、つむじ風のように逃げ去った。

 いったい何事か、と多くの通行人がぽかんとしていた。それが、世界エイズデーにあわせたフラッシュ・モブ(中国語で快閃族)であったと、後で知った。


 フラッシュ・モブとは、ネットやメールを介して見知らぬ人同士が決められた時間、場所で電撃的に集合し、一瞬だけ同じパフォーマンスをして、さっと解散する行為だ。欧米ではゲーム、アート感覚で楽しむ若者が多いが、集会の自由が認められていない中国では、公安当局の虚をついてデモ、集会を行う手法として広まっている。


 今年6月1日に福建省アモイ市政府による化学物質パラキシレン・プラント誘致に反対する市民デモは、フラッシュ・モブと同じようにネットや携帯電話メールで呼びかけられた。このデモで、アモイ市政府はプラント誘致計画を差し止めざるを得なくなった。


 インターネットで、中国の何が変わったかといえば、こんなふうに大衆に“発言力”と“行動力”を与えたことが大きい。


 中国では公式メディアは「党の喉舌」(宣伝機関)と呼ばれ、大衆の代弁者ではなかった。言論、出版、報道、集会、デモなどの自由に制限が設けられ、大衆が本当に自分の意見を公にする場は基本的になかった。


 ところが、匿名性と双方向性を特徴とするネット上では、大衆は本音を吐露し、同志を募って意見を広め、最近ではフラッシュ・モブのような手法で、不特定多数の人を現実の行動に誘うことも可能だ。これは“ネット世論”として大きな影響力を持つようになった。


 さらに党の宣伝機関だった公式メディアまでが連動するようになり、影響力が拡大している。公式メディアも経済の市場化の中で、党の意向より“世論”を重視し、読者や視聴者を増やさねば採算がとれなくなってきたからだ。今年6月に発覚した山西省洪洞県のヤミレンガ工場による未成年者らの人身売買・強制労働事件は、ネット世論と公式メディアの連動によって、隠蔽(いんぺい)されかけた事実を暴き、ついには中央政府まで動かした。


 この状況に危機感をもつ当局側は、ネットと既存メディアの締め付けを強化しようと、ここ数年、規制強化の条例、通達を連発している。


 だが中国のネット人口は2007年6月末で1億6200万人に達し、この5年で3倍以上の急増ぶりだ。膨大なブログやチャット、掲示板の書き込みを完全に統制するのは無理というのが現実だ。


 現にブログの完全実名登録制を強制するといった案は、それ自体がネット世論の強烈な反発にあって立ち消えになった。たとえネット統制が強化されても、ユーザーはすぐに抜け穴をみつけるイタチごっこなのだ。


 そこで共産党は今年1月、政治局集団学習会で党の政治宣伝にネットを積極利用する方針を打ち出した。党が発信する情報がネット上に増えれば、ネット世論を党がリードすることができる、という理屈だ。


 これはこれでミモノだろう。というのも、ネットは双方向性が特徴だ。


 新聞・テレビのように一方的に発信するだけではなく、その発信内容に対しては批判や評価が容赦なくぶつけられるのだ。共産党の意見がネット上で大衆の反応に直にぶつかり、大衆の心を本当につかもうとその方針や政策を練りなおせば、それは党自身の変革につながるのではないか。


 ネットが共産党を変えた、一党独裁を変えた、と記事に書く日が、さほど遠くない将来、来るかもしれない。そう思いながら、ネットサーフィンにいそしむこのごろである。(中国総局 福島香織)


                   ◇


 インターネットの登場が社会にもたらした変革は、はかりしれないほど大きい。かつては絵空事でしかなかったことが、インターネットを通じて簡単に体験することが可能となった。産経新聞は今月から、「MSN産経ニュース」をスタートさせたが、これを機に、ネットは世界をどう変え、人間の営みにどんな恩恵を与え、そして人間の価値観をどう変えたのか-を担当記者が伝える。


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20年ほど前の中国では、人の命は日本円の12万円程、と聞かされた。
車をガードレールにぶつけると20万円の罰金刑を喰らうが、人の命は12万円なので、ガードレールにぶつけるより人にぶつけたほうがマシ、と言う時代があった。

行政が規律を変える時も、きょうの新聞に掲載して、明日から施行、という理不尽なものだった。
わずか20年の間にこんなに変革されるとは、誰もが夢にも思わなかっただろう。

中国だけではない。
この2~3年で、日本の社会もネットに動かされいる。
今までは秘密にできた横領やワイセツが、タイムリーにネットに流れるので、政治も医学も今までのような隠し事が出来なくなった。
これはいいことである。

しかし、喜んでばかりはいられない。
一方では、ネットで被害を受けている人も多いし、死亡事件に巻き込まれた人も
おり、バーチャルの世界と現実の区別がつかなくなりそうな子どもたちも増えた。
ネットからの情報だけで、「知識や経験が増えた」と錯覚する人もいる。
ネットの利点だけを残し、害になる点を消そうとしても、中国の試みのように上手くいかない。
もう、ネット社会を変えることは誰にも出来ない。

8年程前、アメリカの友人が訪ねて来た時、しきりにネットを勧めていた。
「ネットは一種の産業革命なので、絶対ネットをしていたほうが仕事の有利になる、これはどんな職業にも言えることだから、絶対にネットを始めるべきだ」と。

それからしばらくして、パソコンに明るいスタッフが入ってきた。
長年使っていたワープロが、壊れそうなサインを出していたので、そのスタッフに「ワープロを買いたいのだが、どんなのがいいのかな?」と訪ねたら、笑いながらこう答えた。
「今はワープロなんてどこにも売ってないですよ、パソコンの中にワープロがありますから、わざわざワープロを買う必要がないんです」と言う。

狐に摘まれたような気分になったが、パソコンは別の仕事で5台ほどあったので、それらを使おうとも考えたのだが、そのスタッフに相談し、そのスタッフの勧めるままにノートパソコンを買い、ネットにつないだ。
それから私の産業革命が起った。

朝起きたら、テレビより先にネットを見る習慣になり、ネットのニュースが優先になった。
1、2泊の出張でもパソコンがなければ不安なので、パソコンを持ち歩く自分になってしまった。
心まで完全にネットに変えられてしまった。

中国共産党が、どんなに躍起になっても、人民の心も完全に変わってしまった今、もう昔へ戻すことは出来ない。

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黒川紀章氏死去=建築家、世界中で作品手掛ける

2007-10-13 07:29:36 | Webニュースより
黒川紀章氏死去=建築家、世界中で作品手掛ける (時事通信) - goo ニュース

2007年10月12日(金)21:17

 「国立民族学博物館」など国内外の有名建築物を設計した建築家で、文化功労者の黒川紀章(くろかわ・きしょう)氏が12日午前8時46分、心不全のため、東京都内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は密葬で行う。喪主は妻で女優の若尾文子(わかお・あやこ、本名黒川文子)さん。

 名古屋市出身。京大卒業後、東大大学院に進み、世界的建築家の故丹下健三氏に師事した。1962年に建築都市設計事務所を開設し、建築家としての本格的なキャリアをスタート。建築にも新陳代謝が必要だとする「メタボリズム」を提唱したほか、「共生の思想」を掲げ、歴史と未来、異質な文化の衝突や融合が生む新たな建築文化の創造を主張した。国内の代表作に「国立文楽劇場」「ソニータワー」「中銀カプセルタワービル」「国立新美術館」などがある。既成概念にとらわれない自由な発想は海外でも高く評価され、20カ国以上が設計を依頼。カザフスタンや中国鄭州の新都市計画、マレーシアのクアラルンプール新国際空港など、大掛かりな国家プロジェクトにも参画した。このほか、「ゴッホ美術館新館」(オランダ・アムステルダム)などを手掛けた。

 歯に衣(きぬ)着せぬユニークな言動でも知られ、テレビのワイドショーのコメンテーターなどとしても活躍した。また「共生新党」を立ち上げ、今年4月の東京都知事選に立候補したが落選。7月の参院選にも出馬したが、再び落選するなど、近年は本業以外の活動が話題になることが多かった。 



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ご冥福をお祈り致します。
寂しくなりますねー。

東京都知事選に立候補したり参院選に出馬したりで、エネルギーの満ち溢れた、明るいオジサンのイメージでしたのにねー。
一人、また一人と去って逝くのを見ていますと、人生の儚さを感じます。

でも、世界に多くの作品が残せたのですから、素晴らしい人生だったと思います。

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