長浜曳山祭り風景
江嵜企画代表・Ken
奥琵琶湖・桜の名勝、海津大崎へ、「神戸ワイワイ会」一行とともに、バスで出かけた。前日までの風雨で、桜は半分坊主で惜しかった。
ところが、世の中良く出来ている。午後から雨も上がり、帰路立ち寄った長浜がたいへん良かった。この日が長浜曳山祭り当日である。長浜八幡宮境内で、山車を舞台にして演じる子供歌舞伎を見ることが出来幸いだった。祭りの様子をいつものようにスケッチした。
白の生地に紫の模様をあしらった法被を身にまとった若衆も歌舞伎を熱心に見ていた。終われば早速山車の卑き手になった。八幡さんを出た山車は、狭い路地を家の軒すれすれに練り歩いた。JR長浜駅から東に向かう駅前通りは広いが、南北に走る道路の多くは実に狭く、危険さえ感じた。
長浜八幡は、千年の歴史がある。秀吉が長浜築城前から氏神様として親しまれていた。境内に埋められていた石田三成の墓石が出て来た。それで石田神社とも呼ばれている。
子供歌舞伎を見た後、八幡さんから徒歩10分のところにある大通寺を訪ねた。境内にあった立て札には、天正年間に、織田信長に対抗していた大阪石山本願寺の支援のため協議を行う寄り合い道場を開いたのがこの寺のおこりとあった。
大阪城内に石山本願寺跡が残っている。大通寺は真宗大谷派別院である。本堂はもと伏見城の建物だった。徳川家康が本願寺の教如に贈ったものが後にこの地に移されたとあった。たまたま、「石田三成物語館」と銘うって、石田三成の生誕から徳川家康に処刑されるまでの物語を紙芝居風に大広間で展示されていた。
石田三成は、関ヶ原の戦いで、西軍の小早川秀明の裏切りで,形勢一変して敗れたとされる。刑場に連れていかれる途中、干し柿を奨められた。ところが三成は断る。武将たるもの、命はいまわのきわまで疎かにしてはならぬと教えている。
バスの出発まで2時間足らずのあわただしい長浜訪問だったが、収穫の多い旅となった。(了)