直感的縄文塾風景
江嵜企画代表・Ken
知人のSさんから、縄文直感塾を開くが、時間が取れればいかがですかと、お誘いをうけたので、これは面白そうだと、とるものとりあえず、会場のある文明館二階へ出かけた。最寄駅のJR茨木駅からゆっくり歩いて15分で着いた。
12時半から食事をご一緒したあと、講師の松股征男先生の縄文文化について、充実の2時間を堪能させていただいた。窓越しに東西に走るバス道を挟んで茨木神社境内の新緑の木々が見えた。講師を入れて同じテーブルで4人、別テーブルでSさんと筆者入れて全部で6名である。いつものように会場の様子をスケッチした。
縄文時代は、紀元後200年から遡って1万2,000年の新石器時代(磨製石器と土器)を指すことがまず頭にはいった。配られた資料でまず驚いたのは土器が実に精巧であることだ。800℃でないと出来ない遮光器型土器が青森県の複数の遺跡から出土している。
特に縄文中期(紀元前2000年ごろ)、糸魚川市、長者ケ原遺跡遺から出たヒスイに穴を開けた加工技術を見ると、既に当時の縄文人が持ち合わせていたことを教えてくれる。
富山県(小矢部市)の縄文草創期から晩期にかけて出土した桜町遺跡では、小型高床式の木組み、建物部材、装身具、彫刻柱(ト―テンポール)では多様性の素晴らしさが指摘された。
遺跡は権力が集中した思われる場所にある。一か所から大量の土器が出土する。争い、征服した部族に土器を与えるために、てっとり早く大量の土器が作られた。石川県能登町の真脇遺跡でイルカの大量の骨が出て来た。イルカ漁は昭和初期まで続いていた。また、イルカを熊送り同様にして祭ったという指摘も面白かった。聞いていて、アイヌのイヨマンテの夜の詩を思い出した。
情報をどのようにして伝えたのかと質問が出た。文字らしきものは石にも土器にも残っている。真夜中に火を焚いた。昼は煙を上げた。これは直観だが、と前置きして、コミ二ュケ―ションは、踊りや歌で取ったのではないかと講師は答えた。
現代は直感の大切さが失われている。縄文人は自然に密着した生活を通して研ぎ澄まされた直感を養っていたという結論が出て、直感縄文文化塾はお開きとなった。(了)