芙蓉&朝顔(スケッチ&コメント)
江嵜企画代表・Ken
芙蓉が一輪また一輪と阪神青木の更地で咲き始めた。こちら神戸でも朝
8時を回るころになるとさすがに暑い。集中してまとまった時間をかけて
スケッチ出来ないので、早々に切り上げ帰宅した。
この日は元東レ副社長、斎藤光豊さんを偲ぶ会がJR大阪駅に隣接する
ホテルグランヴィア大阪、「名庭の間」で午前11時半から開かれ、
有志約160名が集まった。
懐かしい元東レのお歴々にも久しぶりで会い、歓談することが出来幸い
だった。声をかけていただいた東レ専務取締役、丸山和博さんに感謝する
次第である。
当時ライバルメーカーであり斎藤光豊さんの好敵手でもあった元帝人
副社長、長野明さんも元気な姿を見せておられた。
東レは東洋レーヨン、帝人は帝国人造絹糸から生まれた社名であることも
知るひとが少なくなった。会場に並べられた故人ゆかりのパネル写真にも
レーヨン輸出部の文字が写っていた。故人は特に貿易畑で活躍された。
この日も、貿易商社から故人を偲び大勢の方が姿を見せておられた。
東レがレーヨン事業から撤退、ナイロン事業に転身したのは昭和37年
(1962)だからかれこれ50年前の出来事である。ほぼ時を同じく
して帝人、東レは共同で米デュポン社から導入したポリエステル繊維、
テトロンは、帝人の「テ」と「東レ」の「ト」をとって命名されたと
伝えられる。
栄枯盛衰は世の習いであるが、合成繊維の本命、ポリエステルで、
俗に言う、メシを食っている合繊メーカーは、日本では、事実上東レさん
一社であることは誠に寂しい限りである。
斎藤光豊さんはハイビスカスの花がお好きだったそうだ。祭壇の遺影の
周りにハイビスカスの花がちりばめられていた。
斎藤光豊さんを偲ぶ会開催は、日本の合繊メーカーが一時代終わったことを
象徴する出来ごとだったかもしれないと思いながら会場を後にした次第である。
合掌。
(了)