有馬頼底老師と森田りえ子画伯対談風景
江嵜企画代表・Ken
有馬頼底老師をゲストに迎えて、日本画家、森田りえ子先生との対談が、4月10日、相国寺承天閣美術館で開かれ楽しみして出かけた。午後2時から予定時間4時まで休憩なし。圧巻だった。ユーモアのセンス抜群のお二人だから聞いていてまず面白い。お二人とも個性豊かである。人間味あふれている。包み隠そうとするところが一切ない。だから聞いていて実にすがすがしい。ウソ偽りで満ち溢れている今の世の中だからなおさら聞く人の心を捉えて離さないのであろう。
会場は80名限定。午後1時半から整理券が配られた。和歌山から来られたというさるご婦人と一番で並んだ。友達から森田りえ子さんの話を聞いて感動した。『お友達は?』と尋ねた。急に熱を出して来れなくなった。森田さんという日本画家がおられることも知らなかった。日本画をやったこともないという。
整理券配布待ち時間にご婦人から質問攻めにあったことを白状する。整理券を手にするなりご婦人はかけ足で2階会場へ。なんと有馬、森田お二人の真正面に場所取りし「ここ、ここよ」と手を振っておられるではないか。筆者一人だったら出来ません。当のご婦人のお陰で横綱相撲を土俵「砂かぶり」で満喫でき、ラッキーだった。
対談は金閣寺方丈に杉戸絵になぜ森田りえ子画伯が選ばれたのかについて有馬老師の話がはじまった。杉戸絵には二人の画家が選ばれた。その内の一人が石踊達哉画伯で東京。『じゃ、もう一人は誰や?。森田はん以外おらへん。森田はんに即電話した。」と有馬さん。『まことに光栄でございます。』と森田さんは答えた。
森田りえ子画伯はこの日の対談で「一枚板の杉の木が運ばれてきた。それを目にしたとき、この木は700年生きてきた。木目を生かそう。木目とコラボする構図を考えて描きました。」と話された。森田りえ子画伯の話には『いのち』という言葉がしばしば登場する。今回の個展の頭に敢えて「命の賛歌」という言葉を入れたゆえんであろうと想像している。
有馬老師は「京都に文化庁を移す方向で話が進められている。職員全員が京都で仕事をしたがっておられる。」と話したあと「政治家の中に文化が分かるひとがおられません。文化音痴ばっかりですわ。」と話した。皇室の方々は文化に造詣が深く思い入れもお強い。それと比べて日本の政治家の方々は寂しいもんですわ」と有馬さん。
有馬さんは対談でいろいろな話をされた。その中で「日本はやはり中国と韓国と仲ようせなあきまへん。中国は日本のお父さん、韓国はお兄さん。日本は中国、韓国から文化を学んだ。中国にこの秋86回目ですが出かけてきます。」と話された有馬老師の言葉が強く印象に残った。
森田りえ子「パリ展」で初めて杉戸絵が海を越えた。そのとき杉戸絵のデジタル化保存が実現した。今回の会場の絵は本物の杉戸絵。金閣寺方丈では現在はデジタルコピーで出来た本物そそっくりが展示されていると紹介された。数年前、ブータン国王夫妻が金閣寺を訪問された。その答礼として森田画伯の桜の絵の奉納、ブータンを尋ねるツアーが企画された。「パリ展」同様プロジェクターでその時の様子が写された。幸い筆者は二回共ツアーに参加出来た。
相国寺は若冲ゆかりのお寺である。その相国寺で森田りえ子展開催である。森田りえ子さんは「不思議なご縁を感じます」といいながら「わたしが今しめている帯の背中の絵は若冲先生が描いたオウムです」と会場でくるりと背をむけて披露された。「若冲先生の絵が日本へアメリカから里帰りした同じ年に私は生まれました」と森田さん。
金閣寺奉納の杉戸絵に加えて森田さんは「KAWAII/GITAI」少女軍団13人の絵を時間をとって対談の場で一枚一枚解説された。13枚の絵の一枚「ホウオウ」について今回個展作品集の解説文で「鳥のパーツは伊藤若冲先生へのオマージュを込めて白鳳図の模写で仕上げた」と書いた。
有馬老師は若冲のエピソードして「若冲は京都錦市場の商人だった。店の主が朝から晩までニワトリばかりみて過ごしていた若冲を気違い扱いした。その絵がアメリカ人に天才画家として評価されて日本に里帰りした。」と紹介した。ひよっとしたら有馬老師は『今若冲』として森田りえ子画伯をイメージしておられるのかもしれない。(了)