どこで目にしたのか思い出せないのだが、〈おいしい生活〉のコピーライター・糸井重里氏の言葉にこういう主旨のものがあった。
「何を大切にして自分が生きているかを日々気にしているだけで、人生変わってくる」
これを読んで以来、目の前のことが自分にとって重要なことなのかどうか、少し気にするようになった。例えば、
・こんなことでイライラするために、
・こんなことで悩むために、
・こんなダイレクトメールをいちいち処理するために、
・こんな下らないテレビを見るために、
・こんなネット記事だらだら眺めるために、生きてるんじゃない、という。
あるいは人によっては、
・こんな仕事するために、
・こんな上司/社長の顔色窺うために、
・あんな男/女の言動にヤキモキするために
・カミさん/ダンナの機嫌とるために(もちろん、カミさん(ダンナ)は大事にしないといけない)
・こんなもの後生大事に取っておくために、生きたくはない、というのもあるだろう。
最後のものはまた「断捨離」にも通じる。顔も思い出せないような人の名刺、置いといても邪魔になるだけのゲーム機、等々…。
面白くもない親父ギャグには付き合う必要も、ない。
とは言え、当の上司は上司で「オレ様に気を遣え」などと思っているかもしれないが、そんなこと忖度する必要も、ない。自分の気持ちに素直に従えばいいはず。
…もちろん人生には、無駄も余裕も必要なのであるが。
以前から思っていることの一つに、例えば2万円無駄遣いしたとして、自分が臨終の際に後悔するかっていうのがある。おそらくそんなこと、死ぬ間際ではどうでもいいことであるに違いない。
〔写真は、今年の初日の出〕