思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

なぜ私に分かることが「一級建築士」には分からないのか?(白樺文学館建築の体験)

2005-12-02 | 社会思想

私は、『白樺文学館』の内容のみならず、建築についても、ゼネラルマネージャーとして、コンセプトから細部仕様の決定まですべてに責任をもって取り組みましたが、その経験から言えることは、「一級建築士」たちは、おどろくほど建築に対する知見(というより愛情?)と責任感が乏しいことです。どのような意味と価値を持つ建造物なのか?という最も大事な点についての関心が薄いのです。費用と見栄えのことばかりを気にしていました。

『白樺文学館』の建築についてはたくさん報告したいことがあるのですが、今日はいま問題になっている構造強度に関する話だけに留めます。

「構造計算書」の偽造は論外ですが、
コンクリートの配合比・水分の量・かく拌・養生などの相違によって出来上がるコンクリートの強さは大きく異なり、一つ手抜きがあれば全く別物になってしまうこと、及び正常に施工させるためにはどうしたらよいか? これを提言したのは私のみでした。資料を示して新たな体制の下に建築を行ったのですが、コンクリートミキサー車の一台一台について監視するように指示し、数人の建築士たちには自らコンクリートの型枠への流し込み作業を手伝うよう要望しました。水分量の正常なコンクリートはかなりの粘性をもっているため、角や複雑な形の箇所には、巣ができてしまいがちです。奥までしっかりコンクリートが入るように一級建築士たちも総出で作業をしたのです。。

机上での計算やデザインだけではなく、実際に自分の体と感覚をフルに使って取り組まなくては、ほんとうのことは何一つ分からないのです。(「知る」とは何かについては、11月29日のブログをご覧下さい)

では、建築の素人の私に、なぜ上記のようなことが可能だったのでしようか?

それが民知の威力(笑)です。18~19歳のころ、私はオーディオに懲り、さまざまな工作をしましたが、そのときハウリング防止の為にコンクリートでレコードプレーヤーのケースをつくったのです。ところが最初の作品?は、恐らくはかく拌不足と水分が多かったために、ぶつけたら簡単にヒビが入ってしまいました。再挑戦!こんどは水分を減らし、よくかき混ぜてつくりました。コンクリートは、たたいてもぶつけてもビクともしません。見た目もまったく違います。艶やかで美しい地肌です。(余談ですが、ハウリング防止にはその後に造った砂入り箱の方が優れていました)

このような話を毎週開いた「建築会議」で次々と披露したところ、「松田平田」や「大成建設」の建築士たちは、「とても勉強になる、ほんとうに面白い」と言って、参加しなくてもよい人まで毎回参加され、会議はおおいに盛り上がり、私が主宰する「哲学研究会」の分室とまで言われるようになったのです。

大事なことは、ほんとうに「知る」ということなのです。
「受験知秀才」とは別名「表層知人間」のことでしかありません。表層知のチャンピョンの「官僚」と「金コロガシ」が威張るわが日本は、このままでは終わってしまいます。

武田康弘



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする