思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「強者ー弱者」・「美ー醜」、発想と価値意識の転換。

2005-12-29 | 恋知(哲学)

kです。

今日、フィギュアの日本選手権を観ました。
世界トップレベルの女子選手の演技は、非常に見応えがありました。
それにしても・・・(私も含めて)大衆は美しいもの強いも
のが好きですね。

小泉劇場はまさにそれ。
強者は美しい。
だから弱者は醜いということになる。
自分はそうなりたくないから、強者と一体になろうとするわけですね。
「自分は無力だ」という深層心理が伺えます。

「それは違う」と言っても、そういう声はなかなか広まらない。
体制が打ち出してくるものとは違う強さ、美しさを提示する必要がある
のかな。
どう思いますか。

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武田です。

人間は地球上の他の生物を次々と滅ぼしてきました。人間という大型哺乳類が60億以上存在しているのは、生態系としては無理がありますね。

バランスが取れないと自他共に滅びますが、超難題です。

ある意味で「自然性」から外れた文化・文明を生み出した人類は、それを徹底させるしか生き続ける道はないと思います。生物界の弱肉強食・適者生存という掟を、「強い」ことの意味と価値を問う思想の構築、という高次のエロース追求にまで徹底させることで越えよう、というわけなのです。

「弱者」も楽しく自分を肯定して生きられるような環境をつくる実践努力ーさまざまな創意工夫と共に、新たな善美をそこに読み込む高度な知性(例えば白樺の柳夫妻による民芸思想・運動=価値意識の逆転)が必要だと考えて、そのために思索と実践を続けてきました。

個人の内的なエロースの豊饒化=存在の魅力化は、外的価値にすぎない知・歴・財の所有を色あせた意味のないものとするでしょう。
民知(クリック)は飄々(ひょうひょう)と制度知の価値を越える!

ちょっと脱線しましたが、思いつくままに一言しました。

(以上は、公共哲学ML内メールの一部です。)



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