思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

われわれ日本人の生は、はじめから失敗している/世俗価値を神とする疑似一神教は、人間を生かさない

2005-12-03 | 恋知(哲学)

「表層的な正しさ=外見のよさ」に縛られた本質的に受動的でしかない人生は、
はじめから失敗しているのです。
いつも自分の内側の声を聴くことができず、外なる価値と規範に合わせる人生は、必ず権威主義・序列主義に陥ります。深く自分の頭で考え、自身の存在を開拓しつつ生きることができないからです。

私の見るところ、世間的に通りのよい名前を持っている人で、このことから免れている人は、ほとんど存在しません。
己の存在の深部からの呼びかけ=実存の声に従う訓練をしなければ、たえず、「外部価値」の注射をしなければ生きられない「強迫神経症」者としての人生しか与えられないのです。

内からのエロースの泉は、外的価値や既成道徳からは生じず、意味論的人生=深層的誠実の言動からしか湧出しません。これは人間の生の原理です。

一般的な「正しさ」を求める人生は、永遠に不幸です。深い意味充実の悦びは、己の深くから呼ぶ声にどこまで愚直に従えるか?にかかっているのです。
逃げずに己の存在に向き合うことが、よき、深き、おおきいエロースの生の絶対条件です。

多くの日本人の生は、はじめから失敗している、と言えます。内的に自分自身として生きることができず、たえず外的価値に強迫され、それに従うか、裏返って過激に走るか、という不毛な二者択一を迫られる精神風土の中に閉じ込められているからです。

「天皇教」や「東大病」という言葉に象徴される一元的な価値信仰は、外的価値で生きている証拠です。洗脳を解くのはなかなかやっかいな作業です。
私は、気長にこの「世俗的価値を神とする擬似一神教」の退治に精を出すことを続けます。
豊かなエロースを生み出すために。

武田康弘




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