ある事や物を見たり聞いたりして知っていたが、自分に関係のあることとしては見ていなかった。しかしそれがある時、関係のあること、自分自身の問題になることは、どういう事情によるのだろうか?
そうなる心の変化は、向こうからやってくる。自分の知らない深く隠れた心が開示されるのは、脱力し、虚心になったときに「他」から「向こう」からやってくる。自力ではなく他力なのだ。
それをしっかり受け止めることができれば、人間の可能性は大きく開かれる。
表層的な意識を超えて、氷山の下に隠されていた膨大な無意識が目を覚ます。
固い自我の殻が破られ、柔らかく豊かな可能性が世界を満たす。
言語に規定されて固まっていた「思考」は、のびのびとした想像の力で蘇生し、立体化する。
そうなると、ある事や物は、自分自身に深く関係するエロースに変身するのだ。
因果連関でしか思考できないと、灰色の世界しか与えられない。
深く大きな悦びを生み、自分自身として生きることを可能にするのは、想像力と他力自然の心だ。言語中心主義による自力の計らいは、一番深いところで生きるよろこびを消してしまう。
武田康弘