思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「冒険する頭」

2006-10-13 | 書評

以下は、世界に先駆ける厳しい排ガス規制=51年(1976年)規制を自動車メーカーとの凄まじい闘いによって実現させた科学者が書いた本(「ちくま少年図書館」74:絶版)から一部を抜粋したものです。

非・専門家として日本で始めて自然環境改善の実践的研究に取り組んでいた著者の西村肇さんは、東京都の美濃部知事の依頼で集められた自動車の専門家ではない「七人の侍」のひとりとして、排ガス規制を実現させましたが、その渦中で、大学と政府(環境庁)と自動車メーカーから激しい非難を浴びました。かれら「七人の侍」は悪評とバッシングに屈せず、メーカーに低排ガス・省エネのエンジンをつくらせることに成功し、その結果1970年代半ば以降、日本の自動車メーカーは、貿易摩擦を引き起こすほどにまでに(笑)業績を伸ばしたのです。


以下、書き出しの部分=「なぜこの本を書いたのか?」からの抜粋(編集して)です。


『 私は研究する人に必要なのは、モノに対するセンスと知的好奇心だと思う。
これは学校教育で育つものではなく、家庭環境・友人環境に負う。

モノに対するセンスは、小さいときからモノをいじっているかどうかで決まるので、ものをいじる父親かどうかが大きく影響する。

知的好奇心は、自分の中にふたりの自分がいて、とめどもない対話を展開していくことが必要で、そのためには、現実に誰かとそういうおしゃべりをすることがよい手がかりとなる。
考えるということ自体が、自分との対話であり、対話の嫌いな人は考えることも嫌いなようだ。そういう人にとって結論は明らかで、議論する必要はないのだが、受験秀才は、だいたいこういうタイプだ。
科学は対話だ。したがって、科学者の仕事の大事な部分は、しゃべること、しゃべる中で考えることなのだ。

対話の習慣は、私の場合、父親の影響が大きかった。比較的仕事がひまだった父親は、レコードを聞いたりしながらしゃべるのが好きだった。有名人に対する批評、歴史の話、時事問題、戦争の状況に関する解説で、これらはどれもこれも学校で聞く話と逆さまだった。
父親たちは今よりだいぶ余裕があり、忙しいなどというのは、紳士として恥ずかしいことだった。戦後、みながきそって働きまくるようになると、こういう対話が難しくなった。

いまの学生を見ていると、そういう話をしてあげる人が必要だと思う。父親のことばで話してあげる必要がある。父親のことばというのは、学校の先生から聞く模範解答のようなおもしろくもおかしくもない話ではなく、少しくらい独断と偏見に満ちていてもいいから、ひとりの人間の体験に根ざしたホントウの話、ホンネの話という意味なのだ。 』


 少し難しいですが、☆武田の書いた「主観性の知」(クリック)についてもぜひ再読願います。

(写真は、アインシュタインの少年時代ー妹のマヤと)





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