思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

実存の生と市民社会の原理とは一体のもの

2006-10-06 | 恋知(哲学)

保守主義や自国絶対の狭い想念から自由になり、生身の一人の人間=裸の個人の次元にまで自己存在を還元・反省することで得られる場所に立って、そこから人生と社会について主体的に考える生、それを実存として生きると呼びます。
(「実存として生きるー白樺フィロソフィーと民知の理念」を参照してください)

これは、一人一人の様々な想いー発想を出発点にして、個人の考えを育て、公論を形成し、合意と約束によって国=国家をつくるという近代以降の社会原理とピタリと符合する哲学です。
国体思想=国や国の歴史を実体化して(生き物か一つの機械と考えて)、それをつくっている(構成する)ものとして一人ひとりの人間を見る国家観とはまったく相容れません。

後者の思想を引きずるのが、「古きよき日本!?への回帰」を標語とする保守主義者の想念ですが、これは1890年代(明治20年代)に山県有朋らが中心となってつくった天皇親政の国家主義=「近代天皇制=靖国思想・官僚主義=東大支配」以来の日本の伝統です。文部大臣と首相を二度務めた山県有朋が、この国体思想による社会体制を固めるために真っ先に取り組んだのが、教育改革でした。天皇を中心とする神国日本という歴史教育・道徳教育による国民教化を徹底したのです。

1925年の治安維持法制定後は、天皇親政の社会体制=国体思想(靖国思想)を危うくする考えをもつ人は日本国民ではない、ゆえに非国民であり、それは敵国を利することであるゆえに売国奴である、とされました。この狂気の思想の下に、作家小林多喜二の特高警察官(築地署)による虐殺事件が起き、この流れが1931年の満州鉄道爆破という関東軍の陰謀に始まる15年戦争へと続き、1945年の無条件降伏による敗戦に至ったのは近代史の常識ですが、若い人でこの歴史の事実をきちんと踏まえている人は案外と少ないようです。

近代天皇制の思想と社会体制がもたらした不幸と悲劇を乗り越えるためには、明治政府作成の「靖国思想」を根本的に改める必要あります。市民の意思を国家=政府の政策の下に置き、管理しようとする思想は、歴史によりすでに無効が宣言されています。

個人の内面の声=良心に対して、国=政府はこれを抑圧するいかなる命令も下すことはできません。これは近代市民社会の原理ですが、この思想および良心の自由(憲法19条)は、上記の「実存としての生」に支えられて始めてその基盤をうるのです。

武田康弘



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