以下は、白樺教育館・ソクラテス教室(大学クラス)の古林到君のレポートです。古林君は、法政大学法学部の1年生。
近頃、靖国問題が注目され、討論番組も盛んである。意見の多くは、「海外からの批判があるから参拝しない方がいい。」、「そんなもの無視して参拝すべきだ。」といったものである。が、「靖国神社の成り立ちとその目的」を考えずに靖国問題を議論するのは、全く本質的ではないと私は感じている。
そもそも靖国神社というのは明治時代に、維新が成るまでの間に亡くなった志士達の慰霊のために建てられた東京招魂社というのが前身である。明治政府が、天皇を頂点とする家父長制の国家をつくるために、天照大神を唯一・絶対神として、天皇はその子孫、つまりは生き神(現人神)であるという、「国家神道」をつくり、様々な神々を祭っていた全国の神社を、全て天皇を祀るものとして、伊勢神宮を頂点とする序列の中に位置づけた。更に、「国民は全て天皇のために生きればよい」という思想を根深いものとするため、教育勅語などによって、国民への教育面でも思想矯正を図った。そして、ただの慰霊施設であった東京招魂社を「靖国神社」として国家神道の枠組みの中に組み入れた。これによって、「天皇のために戦い、死んだ者は英霊になって祀られる」と信じ、国のために喜んで死ぬ人間を生み出すことになった。
このような、アジア・太平洋戦争という大きな過ちを犯した旧体制の核心とも言える所に公人が参拝するのは、他国の批判を受けて当然であるし、何よりその旧体制・思想を是認することになる。この点を踏まえずに靖国問題について議論をしても、全く根本的でない、表面的な解決策しか浮かばないだろう。
勿論、信教と表現の自由が認められている限り、靖国の存在を否定することは出来ない。が、靖国神社がそのような思想に基づいている以上は、公的な立場にいる人間が行くべきではない。
また、靖国に祀られている人は軍人だけである、ということも私が靖国参拝に反対する理由の一つだ。国体思想を植えつけられ、戦争に巻き込まれたのは、なにも軍人だけではない。彼らに殺された他国の人々もいれば、日本でも多くの民間人が犠牲となった。その元凶が当時の政府である以上、現在の政府が反省と謝罪の念をもって、あの戦争の犠牲となった「全ての人」を慰霊する施設をつくるのは当然の責務であろう。
靖国神社が原因の外交問題を根本的に解決させたいのならば、それしか道はあるまい。解決できる問題を解決せずに、他国との関係が険悪なままでいるのは、なにより日本に不利益しかもたらさない。逆にこの問題を根本的に解決できれば、日本は本当の意味で戦前より続く旧体制・思想から解放されることになる。それは結果的に、近隣諸国から信頼されることにもなり、日本にとってもアジア全体にとっても、より良い未来を築ける第一歩となろう。
(2006年10月・古林到)