生きるのに全く役立たない瑣末な事実の暗記、ゲーム知でしかない意味のないパターン知、思想の無いただの技術・・・・・
その場しのぎー自転車操業ようなの知の勝者が優等生!?これではお話になりません。
足元をしっかり、基本を繰り返すこと。意味をつかむ努力をすること。それが何よりも大切。
例えば、靖国問題ひとつとっても、
それが伝統の神社とはまったく異なる考えに基づいて明治政府がつくった神社(政府が神社をつくった!!)であるという「はじめの一歩」の知をもたない人が大勢います。中学・高校の「日本史」でこうした事実とその意味について教えることがないために、一番の基本さえ知らずに靖国問題を語る!?という冗談のような話が現実のものとなっているわけです。
こういう事例は挙げたらきりがありませんが、意味を知る(なぜ?どうして?なんのため?)という知の基本なしに、受験知という極めて特殊な知のゲームに日本人皆が血眼になり、その知の勝者が「エリート」という笑えない現実を克服しないと、この国は永久に不幸です。ゲームをやること、クルマと電気製品を買うこと、それだけが生きがい!?の半病人で溢れています。
受験のために生き、受験のために死ぬ、外なる価値に振り回される不幸の連鎖、それを断つ「現実知」をもたないわが日本人。集団同調するだけの悦びのない人生。本体、本質、本物とは無縁な薄っぺらい心と頭。内面世界の貧弱さを、また別の外なる価値=伝統、愛国、天皇制で埋めようとする詐欺師=保守主義者たち。彼らは、自他双方を騙(だま)すほんものの(笑)愚か者。
愚劣極まる想念、生きるに値しない人生と社会を元からチェンジするにはどうするか?
答えは簡単。受験勉強をやめて、勉強をすることです。
基本を繰り返すこと。意味をつかむ努力をすること。議論をする習慣をつけること。
武田康弘