小沢征爾指揮、サイトウキネンによるショスタコーヴィチの交響曲5番を聴いて、なんとも複雑な心持ちです。
これは、今月の「レコード芸術」の特選盤。小沢の金字塔であり、かつ同曲の最高の演奏と評されたCDで、2006年の松本におけるライブを収録したものです。
熱演ですし、美しく、終楽章は極めて遅いテンポをとりながら圧倒的な迫力をもちます。
しかし、音が上滑って、深く落ちないのです。上半身だけに力が入ってしまうのを、低音楽器を強奏させることでバランスをとり、迫力を出すような演奏になっているために、音楽自体が自ずと語りだすというのではなく、つくりごとの世界になっています。
現実的な美があり、現実的な迫力・快感はあるのですが、そこまでなのです。
現実の楽器は現実の音として美しく響きますが、精神・理念世界を切り開く力を持ちません。音の刃物が鋭く空間を切り裂き、音によるイデアの世界を開示するという場面は皆無です。
わたしは欧米信仰は持ちませんが、ここに聴くわが小沢の演奏は、ヨーロッパの真髄との深い溝を感じさせます。なんとも残念ですが、もちろん、小沢の演奏に届かない欧米の演奏も多いですので、それもって慰めとしましょう。ショスタコーヴィチのこの曲の真髄を現した演奏は、息子のマキシム・ショスタコーヴィチのものですが、現在は廃盤です。
武田康弘