思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

!?「皇室を守る政治が必要」―自民党総裁・麻生太郎さんの弁

2009-08-07 | 日記

わたしたち日本の主権者は、皇室の維持費・生活費を全額(総額170億円)を出していますが、さらに「皇室を守る政治」をしなければならないのでしょうか?

わたしは、どうにも合点がいきません。私たち一人ひとりが主権者である民主主義の政治において、「皇室を守る」ことを目的にするというのは。
これは、すでに60年以上前に歴史的に審判が下ったはずの「国体思想」そのままですが、こんな亡霊言説が総理大臣の口から出るのですから、近代民主制国家(=個人の思想及び良心の自由に基づく「主権在民」のルール社会)をつくり出すのは、なかなか大変です。いつまで、儀礼的存在に過ぎない天皇や皇室を特別視し、特別扱いし、国民がそれを守らなければいけないのでしょうか?

同じ人間であるにも関わらず、生まれながらにして特別な存在であることを保証する。そして、天皇家に伝わる宗教儀式を年間に200以上こなすことを生活の柱とする皇室生活に掛る費用は、国民が負担する。浄土真宗の信徒もクリスチャンも。おまけに、その一人の人間の生死で、時代の名前まで変えてしまう。天皇現人神の1945年までと、その後の新憲法制定=主権在民の民主主義時代も、同じく「昭和時代」と呼ばれる。ええっー、!?意味不明ですね。


以前にみなさんと対話した記事がありますので、ご覧ください。ふつうの市民のふつうの常識に基づく政治が必要だと思います。天皇制の問題については、わたしの以前の記事=「皇室の人権と市民精神の涵養」を読まれれば、みなさんの納得・合意が得られるのではないかと思います。ぜひ見てください。
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死刑廃止へのコメントー2

2009-08-07 | メール・往復書簡
mixiコメントの2です。下からの続きですので、1から見て下さい。



バミューダ 2009年07月29日 10:03

はじめに断っておきますが、反論ではありません。死刑制度の存廃についてより理解を得るために、もう一度質問することをお許しくださいm(__)m 

主権が国民に存すること、これは異論がありませんが、ならば我が国において国民が意志を持って死刑制度の存置を容認している事実についてどうお考えでしょうか? 

今年の5月3日に読売新聞社が発表した世論調査では、もし自分が裁判員制度で裁判員になったら、現行法上は死刑を求刑する可能性があると答えた人は63%を占めました。これは、恣意的なデータかもしれませんが、現状無期懲役と死刑に大きな隔たりがあることは明白であり、終身刑が無ければ死刑を選択しても構わないとする国民の意志が読み取れます。

さて、このような国民の意志があるにもかかわらず、民意の反映の名の下に現行法を改正することは、国民の意志を尊重していると言えるのでしょうか。

このことを踏まえて、もし現行法を改正するならばどのように行われるべきかを合わせてお答え願います。
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タケセン 2009年07月29日 10:34

反論でももちろん結構ですが(笑)。

わたしは、いまの日本人の意識は、死刑存続であることを承知しています。
しかし、人間の考えは、議論により変わるものです。広く世界の人々の意見が聞けるようになり、また、なるほどと納得できる意見があれば、動いていきます。
この問題に限らず、歴史の進展とともに、人々の考えは、次第に深い人間性を帯びてきました。
民意による合意が得られるように、粘り強く訴え続けていくことが大事だと思います。
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バミューダ 2009年07月29日 13:10

回答ありがとうございます。

そうですよね。死刑そのものについて国民ひとりひとりが考えることがまず必要ですよね。 

最後になりましたが、僕の意見を述べさせて頂きたいと思います。
人間が持つ獣性と理性は否定できず、アリストテレスが理性を高めることこそが人間の形相とする考え方を肯定的に捉えるものの、そのまま近代社会に取り入れることはできないと考えます。

つまり、人間の理性を信じることについては平和の理想型として認めるものの、懐疑的な視点からこれを見ます。よって、日本で言えば終身刑を導入することで本人の更正を期待し、死刑により事件を終わらせないことで罪を誰にでも起こりうるものと捉える。そして平和の実現を図る。

同時に、死刑を存置するこ。根拠としては「殺人を犯してもその刑罰として死刑にはならない。だから殺す」と考えるような者については、そもそも更正の余地はない。また、獣性は理性的な終身刑だけで対応しきれないとし、必要悪として獣性の肯定とも繋がりかねない死刑を存置する。ただし、死刑を執行することに厳しい制約を課す。第一に、更正の余地を否定してよいか。第二に、平和の実現のために、罪が起こった原因を考察する意義が事件にはないか。第三に、主権である国民の意志(遺族の感情も含む)にそぐわないか。これら厳しい制約を課すことで、一般的には終身刑により解決を図り、特殊な場合において死刑を肯定する。そして段階的には終身刑のみの解決を目指す。

以上です。まぁ結論として、死刑存廃論は一元的な視点で考えるべきではないということです。
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あ01-23 2009年07月29日 21:54

>それから、「市民を主権者とする革命」(ルソー)は、60年以上前、敗戦という形で日本でも成
>就しています。日本国憲法は、明治憲法の天皇主権を否定し、主権在民の原理を明白にしま
>したが、これは小中学校の教科書で誰でもが学ぶ事実です。

日本は敗戦しておりません。終戦したのです。本土決戦する戦力を残しながら、昭和天皇が終戦を決断され、軍部を抑えて終戦の詔勅を発せられたのです。「敗戦」という用語はサヨクの造語です。

あと、日本国憲法はGHQが作ったものであって日本国民の手によって作られたものではありません。帝国憲法は天皇主権を定めていません。国家主権を規定し、天皇を元首としています。
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○ンシロウ 2009年07月29日 23:32 > タケセンさん
確かに言葉が感情的になりました。悪いと思ってます。
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タケセン 2009年07月30日 00:01

ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をしたのは、事実であり、サヨクではなく、世界が日本の敗戦を規定したのですから、これを受け入れるほかありません。独立を回復できたのは、1952年のサンフランシスコ平和条約の締結によってです。これは、私の意見などではなく、世界史・日本史の事実ですが、あ01-23さんは、どこで上記のような「話」を教え込まれたのでしょうか?

また、現在の日本国憲法の元になったのは、日本人の民間人7人による「憲法研究会」の草案です。さらに言えば、欽定憲法である大日本帝国憲法が発布される前に、自由民権運動の植木枝盛らによる草案もあり(明治のはじめに作られた民間人の憲法草案はたくさん見つかっています)、その内容=基本思想は、現在の日本国憲法と大変近いのです。

個人のロマン的心情は自由ですが、それは個人的領域に留めないと危険です。世界に通用する普遍的な見方をしなければ、日本の国益ともなりません。
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あ01-23 2009年07月30日 00:18

>ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をしたのは、事実であり、

ポツダム宣言にはトルーマンしか署名していません。連合国の宣言というよりトルーマンの個人的書簡と考えるべきです。

>無条件降伏

帝国は無条件降伏していません。国体護持を条件に700万の戦力を温存しながらも天皇の御聖断であえて武装解除したのです。

>どこで上記のような「話」を教え込まれたのでしょうか?

ネット上にいくらでもソースはあります。逆に言えば、タケセンさんのご主張は日教組の先生方が無垢な生徒に無理やり教え込んでいる内容と酷似していると思います。

>日本人の民間人7人による「憲法研究会」の草案です。

影響はあったとしても起草したのはGHQです。この事実は否定できません。
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タケセン 2009年07月30日 00:43

現実において世界が認めたことを、覆すことはできないのです。それをやれば、無法者という烙印を押されるほかありません。
また、憲法という理念法は、民主主義思想の表現ですが、それは人類が互いに影響しあい、ふつうの多くの人により深い納得を生むものとして鍛えられてきたのです。なぜ、あなたは国籍や民族に異様なまで拘るのでしょう。「純粋な日本人」というものが存在し、それがすべてを決定しなければならない、とでも考えているのですか?
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あ01-23 2009年07月30日 00:53

>現実において世界が認めたことを、覆すことはできないのです。

日本は終戦を選択した、日本は条件付き降伏を選択した、日本国憲法はGHQが起草した、といったことは史実なのですから誰が何と言おうと覆すことはできないと思います。

ちなみにサヨクは「敗戦」という言葉をよく使いますが、早期戦争終結を望んでいたのは米国側も同じでしたよ。米国側もものすごい戦死者を出してかなり苦しかったのです。

>なぜ、あなたは国籍や民族に異様なまで拘るのでしょう。

いささか唐突に感じます。小生はタケセンさんの日記で国籍や民族について論じたことはないと思います。
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タケセン 2009年07月30日 01:05

現在の同盟国のアメリカも、欧州も(敗戦国のドイツやイタリアを含む)、アジアの多数派も認めない主張を繰り返して、あなたは何を得ようとしているのでしょう。

戦前の国体イデオロギーによる用語を使い、ご自分の日記で論じ、その想念は私へのコメントにも色濃く反映されていますね。
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あ01-23 2009年07月30日 01:13

>あなたは何を得ようとしているのでしょう。

何も得ようとしてません。史実を申し上げているだけです。
私の主張が間違っているのなら反論していただければよいのだと思います。

factは時により多数派よりも少数派によって主張されることもあります。
誰が認めるか認めないかによりません。
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タケセン 2009年07月30日 09:25

あなたは、歴史を語る基本すらわきまえていないのです。

ある[事実]をどのように解釈するのが妥当なのか、というのは、その人がもつ価値意識=思想(それがたとえ無自覚のものであれ)によって変わります。解釈のしようはいくらでもありますが、事象を如何に見るか?は、何に価値を感じ、どう生きるのがよいと考えるのかと結びついているのです。人間の価値意識=思想と切り離した只の「事実」など存在しないのです。
この点については、認識論の基礎を学ばれる必要がありますが、まずは、竹田青嗣さんの「現象学入門」(NHKブックス)にじっくり取り組まれるとよいでしょう。

また、日本の近・現代史のきちんとした歴史的考証と証言を知ることは、問題を考え・語る上で避けて通ることができませんから、「あばれはっちゃく」等の児童読み物で有名な山中恒さんの「反日という呪縛」(けいそう書房)に取り組まれるのがよいでしょう。

ともあれ、「基本的な勉強」をきちんとした上で、考え・語らないと、戦前の天皇教の下で市民的自由を抑圧した(特高による恐怖政治―拷問はその象徴)思想教育による国家をよしする時代錯誤の危ない人で終わってしまいますよ。

あなたの主張する「事実」なるものは、例えば読者をひきつけるために週刊誌の書く「事実」と同じで、一面の強調により、大きくバランスを崩しているのです。全体的・多面的にさまざまな「事実」を考察し、よきバランス感覚を持って総合的な判断をするという精神のゆとり=普遍性に乏しいのです。老婆心ながら、ご忠告する次第です。良識あるバランスのとれた大人になることが、自他にとってよいことではないですか。
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あ01-23 2009年07月30日 21:48

>歴史を語る基本すらわきまえていないのです。

GHQが起草した日本国憲法でもって市民革命が成就したというイデオロギーこそバランス感覚を大きく崩していると考えるべきではないでしょうか。

日本で市民革命が起きたと考える人は日本の左翼以外世界中にどこにもいないと思いますよ。バランスがとれていないからこういう妄想に取りつかれるのではないでしょうか。

>戦前の天皇教の下で市民的自由を抑圧した(特高による恐怖政治―拷問はその象徴)思想
>教育による国家をよし

戦時中の極端な統制は行き過ぎた面があったのは確かです。しかし、スターリン主義者を厳しく取り締まったのは正しいと思います。ちなみに「天皇教」という宗教は存在しませんでしたし、今もありません。
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タケセン 2009年07月30日 23:20

「天皇教」とは、原始宗教の内容を色濃く残す国家宗教のことです。明治政府が創作した新宗教ですが、哲学者で著名な宗教論を成した竹内芳郎氏の言葉です。何も知らないでこういう書き込みを繰り返す愚かさを、あなたは少しは自覚しないといけませんね。宗教論ー人類の宗教表象の概略も勉強せずに、一知半解な御託を並べるのは見よいものではありませんよ。神道の系譜や古神道、教派神道、明治の国家神道の次元の相違も知らないとは呆れますね。

主権在民というのは、国民の「公共」を実現するためにのみ国家は存在するという思想で、それとは別の場所に国家の公という領域をつくることを認めないということです。これは近代民主制の原理です。主権は国民に存するという新憲法の制定は、革命にも等しい歴史的転換なのです。あなたは、哲学も思想も勉強せずに、自分の心情を満たすだけの「理屈」を並べるだけですが、いい年をしてこういう無教養をブログでひけらかす!?のはもうそろそろ終わりにしたらよいでしょう。
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あ01-23 2009年07月30日 23:45

>哲学者で著名な宗教論を成した竹内芳郎氏の言葉です。

著名ですか?昔は反日思想家として名をなしたのでしょうが、今となっては無名ではないでしょうか。知っている人の方が珍しいですよ、客観的に考えて。

その反日マルキストが天皇教なる造語を発表したら、天皇教が存在してしまうことになるのでしょうか?それはおかしな話ですね。

>主権は国民に存するという新憲法の制定は、革命にも等しい歴史的転換なのです。

GHQが英文で起草した日本国憲法で、市民革命が成就したっておかしなロジックじゃないですか?外国の占領軍が日本の市民革命を成就させたという意味なんでしょうか。論理的に破たんした主張じゃないでしょうか。
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タケセン 2009年07月31日 14:03

反日!?の思想家というあなたの他者への烙印は、本質的には、何も見えていない証拠です。

また、「反日」というとんでもない言葉を他者に浴びせるのは、最も恥ずべき日本人であり、人間であるとわたしは思います。このような差別的で、戦前の国体イデオロギー(=本質的に民主主義に反する)に基づく言葉を臆面もなく使う輩を、わたしは心底軽蔑します。日本人で日本に住んで日本をよくしようと努力している人間を侮蔑する「恥知らず」で「礼」をわきまえない人間のコメントは、

あなたから「誠意ある謝罪」がなければ以後削除します。

また、竹内芳郎さんは、いわゆる「マルクス主義者」ではありませんが、あなたは哲学の素養がまったくないために、デマゴーグにすぎない言説を振り回すのです。嘆かわしい。怪しげなネット情報に頼らずにご自分で読んでから発言してください。これは基本原則ですよ。なお、彼の主著は「文化の理論のために」(岩波書店)です。

敗戦(あなた好みの言葉では「終戦」)が、市民革命に似た効果を現実にもたらしたことは、ふつうの理性ある人なら誰でもが知っていることです。議論以前の話です。「主権が国民にある」という大転換をなす新憲法が発布され、現在その基本思想を否定する人は、自民党にもほとんどいないのです。
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ここで終わりましたが、「まとめ」として言えることは、

民主的人間になり、民主主義社会をつくるためには、
小学生からの順を踏んだ【自問自答と自由対話】の授業=練習が不可避であるということです。それがないと、「私」にとっても「公共」にとっても一番大切な、なにがほんとうなのか? どう考えるのが妥当なのか? という能力が鍛えらないからです。
家庭と学校で、大元に戻して考え・話す「哲学」の実践をしないと、議論を避けるか、または「ディベート」という勝ち負けのゲームに陥るほかないのです。
ちなみに、ソフィストたちのディベート(言語勝負・言語技術)を徹底的に批判したところに生まれたのがソクラテスの問答法=哲学です。

「自問自答と自由対話」により、幼いころからの「自己決定」(=自由と責任)の鍛練をしなければ、民主主義社会をつくることはできませんし、その鍛練が人間を民主的な存在にしていきます。厳しく批判し合いながらも、相手の存在価値を認めるという≪民主主義の倫理≫は、その鍛練から生まれるのです。


コメント (2)
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死刑廃止へのコメント-1

2009-08-07 | メール・往復書簡
わたしの「死刑廃止」の意見に対するmixiブログへのコメントです。


あ01-23 2009年07月28日 23:27

お邪魔します。

>これ以上はなく「冷静」に人を殺す。そういうシステムを内にもつ国家に豊かな人間性が育ま
>れることはないのです。

武田さんは昔の文学とか哲学に造詣の深い方だとお見受けしますが、そういったものが作られた時代には国家に制度として死刑があったはずですよ。死刑と人間性は関係ないのでは?
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タケセン 2009年07月28日 23:49

早速のコメント、ありがとうございます。
あ01-23さん、
人間性は、だんだんと濃やかになり、あえて言えば「進歩」してきました。いまは、女性も同権となり、さらに子供の権利条約も生まれ、世界各国で批准されました。
昔の常識は、そのままでは通用しないのです。現代では、人間と自然への暴力は、より強く否定されています。「冷静に人を殺す」ことを「悪」と考える国が増えてきたのは、そのことと軸を一にしているのです。
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あ01-23 2009年07月28日 23:58

>武田さん

たびたび失礼いたします。

ルソーは社会契約論で死刑を支持していますが、武田さんの主張するルソー・ルネサンスを起こすなら、死刑はむしろ擁護すべきではないでしょうか?

一方で、お隣の北朝鮮やChinaにおける人間と自然への暴力は酷いものがありますね。朝鮮労働党や中国共産党は「冷静に人を殺す」ことを「善」と考える集団です。朝鮮労働党員や共産党員は人間の文明のベクトルから考えると退行した集団と考えるべきですか?
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ディジー 2009年07月28日 23:58

ニュースから失礼します。
死刑が良い悪いかは分かりませんが、どんな極悪犯でも無期懲役判決では出所してしまいます。

遺族の本当の気持ちなんて、遺族でなければ分かりません。
代弁するようなコメントはいかがなものかと思います。
しいて言わせてもらえば、私が遺族なら…事故なら別ですが、快楽の為に殺されたなら確実に死刑を望むでしょう。

人間の感情は綺麗事だけでは済みません。
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あ01-23 2009年07月29日 00:00

>遺族の本当の気持ちなんて、遺族でなければ分かりません。

その通りだと思います!
国家の死刑を廃止するなら、その代わりに遺族の報復権や復讐の権利を認めるべきです。
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タケセン 2009年07月29日 00:17

あ01-23さん

わたしが書いた山中元さんの「社会契約論」の紹介への、あ01-23さんのコメントに対して、以下のように記しましたが、ルソーは、理念次元の想定をし、またレトリックを駆使した文章を書いていますので、随分誤解されています。

「これは、ルソーが、「市民主権の国家」を生むための徹底した姿勢=覚悟を現わしたものですが、それは主権者を市民とする革命を成すための理念です。ルソーは、イギリス経験論とは異なり、理念次元の想定の必要を強く意識した哲学者です。ふつうの犯罪=経験論次元の話と混同して読んでしまうと、その本質的意味を取り損なってしまいます。山中さんは、優れた解説も書かれていますので、ぜひご一読下さい。 」

それから、ディジー さんのいう「遺族の気持ち」ということだけでこの問題は語れません。もっと落ち着いて、ゆっくり思索されてから発言されないと、感情論となり、議論が深まらないと思います。
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あ01-23 2009年07月29日 00:39

>それは主権者を市民とする革命を成すための理念です。

日本には皇族がいらっしゃるので市民革命の理論など必要ありませんね。
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hiro 2009年07月29日 00:43

初めまして、ニュースからやって来ました。

>死刑という刑はあってはならないのです。

まったく同感です。国家の国民の名の下に行われるもう一つの殺人以外の何物でもありません。
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あ01-23 2009年07月29日 00:46

>国家の国民の名の下に行われるもう一つの殺人

罰金刑を「国家の国民の名の下に行われるもう一つの窃盗」と呼ぶほど陳腐な屁理屈だと思います。
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クリーミー 2009年07月29日 00:51

僕も死刑制度には反対です。
子供に人を殺してはいけないと教えても、では何故国が人を殺せるのかと反論されたら答えに窮します。
国家はいつの時代も適当な理由をつけて人を殺してきました。
個人が自然な感情に基づいて殺し合うのと国家が「合法的」に人を抹殺するのは次元が違います。
本来であれば国が人を殺せないように国民が働きかけるのが筋だと思いますがミクシーの日記などを見ると死刑肯定派が圧倒的多数であることに驚き呆れています。
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バミューダ 2009年07月29日 00:59

明日死刑制度についてテストを控えている者です。勉強させてください。

人権侵害という考え方をとると、殺人という罪は肉体的人権侵害の最たる例となりますよね。そして、人権は公共の福祉、言い換えれば国家の秩序を乱さない限り保障されると憲法は規定しています。

となると、殺人を犯した者は国家の秩序を乱し、社会に対する契約を裏切っています。それに対して、終身刑という刑が死刑よりも妥当である根拠は何でしょうか。
「私はあなたを一応殺さないと約束する、しかしあなたは私を殺さないと約束しろ」という考え方に繋がるのでは?
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Kaitaiya 2009年07月29日 01:04

ニュースから失礼します。
僕も死刑は廃止すべきやと思います。
でも死刑は必要だと思います。
この矛盾がなかなか解決しないんですよね。
なかなか決定的な決め手って無いです。 kengo 2009年07月29日 01:07 その豊かな人間性が成熟した社会が、如何に不可能極まりないかを直視されたし。国家が手をさしのべなければならないのは他にもいる。年間自殺者三万人。このことに本腰入れない国家が、何を殺人犯した人に配慮せんきゃならないかわからない。犯罪者救って、ワーキングプア放置の社会に人間性は育まれますか?議論があっちゃこっちゃいってごめん。
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あ01-23 2009年07月29日 01:09

>子供に人を殺してはいけないと教えても、では何故国が人を殺せるのかと反論されたら答えに窮します。

罪のない人を殺してはいけないと教えるべきではないでしょうか?
凶悪殺人犯は死刑で殺してもよいと教えれば矛盾は起きませんよ。
絶対無条件に人を殺すなという命題を立てるから混乱するのだと思います。
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クリーミー 2009年07月29日 01:31

>罪のない人を殺してはいけないと教えるべきではないでしょうか?

国家は罪のない人間を散々殺してきました。
国家に人を殺せる権利を与え続ける限りこれは続くでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ディジー 2009年07月29日 01:35

私は落ち着いていますよ。
貴方はとても知識豊富で高尚で賢い方なのでしょう。しかし、
>冷静に、理性的に殺してはいけない
>家族でも自分の手で殺せば心は晴れるでしょう

これは裏を返せば同じ事でしょう。
矛盾していませんか?
これでは犯人も家族も冷静でなければ何をしてもいいということになります。
それこそ現在の国家の冷静な判断がそこに存在するからこそ守られている秩序もあるはずです。
確かに殺人がなくなる社会になるよう国民が意識を持つことは大切でしょうが、残念ながら、犯罪者はいなくなりません。
あなたの述べるものこそ理想論と感じてしまいます。
人や自然を殺してはいけないという貴方様の意見にそわない事をした犯罪者に対しては、具体的にどういった制裁が必要だとお考えですか?

無期懲役?
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○ンシロウ 2009年07月29日 01:59

> あ01-23さん
それ(復讐権)はいいことだ。

○ンシロウ 2009年07月29日 06:03

>クリーミー
お前変わってる。
普通じゃない。
肯定派が正しいから多いのでは…
日本人も馬鹿ばかりではない。
少ない派っていうと…例えば社民党みたいな奴ってむちゃくちゃ言うし変わってるだろ?それと一緒さ。
だからあんなんに票入れる奴少ないんや。
こっちはお前の考えに呆れるわ(笑)

○ンシロウ 2009年07月29日 06:05 >
hiro
お前が死刑囚の身代わりになって氏ねば?WW
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タケセン 2009年07月29日 09:33

もっともオゾマシイ犯罪である「殺人」、
しかもそれが憎しみ合う関係の中で追い詰めれれた末の犯行、あるいは、生活の困窮の中での強盗の末の殺人でもない場合、
なぜ人間は、殺人を犯すのか?
それを追求するのは、よりよい社会を建造する上で、極めて重要な仕事です。殺人者を死刑に処するのではなく、彼らの病理の源を検証し、その精神の回復はいかに可能か(あるいは不可能か)を探ることが求められます。それは、「正常者」の中にもある殺意や不条理な心理をより深く見つめることにもなるでしょう。
あまりに酷い犯罪を犯した人は、隔離し、別次元の世界(刑務所という秩序)で生きてもらうしかないので、終身刑にするほかありませんが、殺してしまえば、そこですべて「お終い」です。粘り強く人間性の暗く恐ろしい一面を探り・見つめる作業をしっかり続ける国であれば、ふつうの生活者の考え方・生き方も多面的に深く豊かになるはずです。

それから、「市民を主権者とする革命」(ルソー)は、60年以上前、敗戦という形で日本でも成就しています。日本国憲法は、明治憲法の天皇主権を否定し、主権在民の原理を明白にしましたが、これは小中学校の教科書で誰でもが学ぶ事実です。だから、現在の日本という国家は、そこに生きる一人一人の個人の意志によりつくられています。わたしが、あなたが、皆でお金を出し合い(税金)、政治家を選び、役人を雇って国家をつくっているのです。民主主義社会における国家とは、われわれのものであり、ウヨクの「国家・命」という国家宗教ではなく、サヨクの「国家・悪」というイデオロギーでもないのです。われわれふつうの市民がよりよい信頼社会を建設していこうというのが、主権在民の国家なのです。

また少数派、多数派、ということであれば、死刑廃止は、世界の(先進国)の常識であり、廃止派が多数なのです。hiroさんに向けて、「お前が死刑囚の身代わりになって氏ねば?WW 」というOンシロウさんの発言は、撤回し、謝罪しなければいけません。mixiの基本方針に明らかに反します。異論・反論と暴言は全くちがうのです。

以上、まとめてのお応えでした。
なお、同じことの繰り返しのコメントや、暴言、糾弾でしかないコメント、人権侵害や反社会的なコメントについては、今後は削除します。

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