思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「公共」をめぐる哲学の活躍(14000字)ー豊富な写真入りで、白樺教育館ホームにアップ!

2010-10-06 | 恋知(哲学)
「『公共』をめぐる哲学の活躍」が、写真入りで、白樺教育館ホームにアップされました。製作は古林治さんです。

文章だけではなく、その時々の写真が一緒に載ると、立体化して迫力が出るようです。ぜひ、ご覧下さい。



追記 pdfファイルができましたので、印刷、転送等にご活用ください。
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/Kokyo_Tetsugaku_photo.pdf



武田康弘

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コメント

小林正弥さんに (荒井達夫) 2010-10-09 23:19:17

「公」と「公共」の区別の問題は、福嶋浩彦さん(現・消費者庁長官)の明解な意見により行政実務的にも完全に決着したといえるでしょう。「公(=官=国家)」と「公共(=市民)」の意味を明確に区別し、「公共の利益」と異なる「公の利益」の存在を許す考えでは、消費者行政を誠実に執行することは不可能です。

主権在民の民主主義社会において、「公共」とは普通の市民の頭の中で創り出されるものであり、それ以外にありません。学者も官僚も政治家も等しく市民のはずです。この当然の前提に立てば、「公」と「公共」を区別するいう、おかしな発想は出てこないと思いますが、特に公共哲学者はそうでなかったということでしょう。

書物からの知識の吸収ばかりで、生活上の現実に即して個々具体の問題を生活者の立場から丁寧に考えるという作業がなければ、本物の哲学にはなりません。難破船の事件にベンサムの「最大多数の最大幸福」を適用するという、筋違いの馬鹿げた議論を有難がるようになってしまうのは、そのためでしょう。実に頭の悪い議論で、「もっと普通に真面目にやれよ!」と言いたくなります。単なるディベートと哲学することの区別がつかない原因もここにあると思います。

(千葉大学教授・公共哲学ネットワーク主催者)に、お伝えしたいところです。
コメント (3)
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