勝ち負け、競争が人生?
ノーベル賞は、最たるもの。ノーベル賞を取るために研究する?ノーベル賞を得るために生きる?
そういう人生選択もありますが、
それで何が得られるのでしょうか。わたしは、うんざりですが、勝ち負け、競争が好きな人は、そうするのでしょう。
サルトルは、ノーベル文学賞を拒否しました。
栄誉のために生きる、勝者になるために生きる。わたしは、そういう文明を肯定しません。
わたしは、わたしの生の充実―内的豊饒を悦びとします。日々を楽しく充実したものにするのです。
それを広げるために公共世界を拓くのです。
ほんとうの生の充実は、実存の悦びに支えられた公共性にある、それがわたしの考えです。
競争を原理とする現代文明から、実存―納得を原理とする新たな文明にチェンジしたいもの。
巨大賞など要らないのです。名もなき人の発掘なら意味がありますが、すでに地位を得ている既存の組織に属する人に賞を与えるのは、つまらない話です。
かつての田中さんの受賞には意味がありましたが。
武田康弘
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コメント
競争原理の生き方は貧しい (tomoko)
2010-10-10 21:29:54
今、アルバイトをしていて、元大手の副社長だった高齢の方とお話する機会があるのですが、「成長の競争」「成長の競争」と事あるごとに主張されていて、私は違和感を感じずにはいられませんでした。それも一つの選択ではあるのかもしれませんが、「競争」を原理とする生き方は貧しいように、思えてならないのです。タケセンさんの日記は、腑に落ちることを書いてくださっていて、いつも勉強させていただいています。
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競争の自己目的化 (タケセン)
2010-10-10 22:12:03
tomokoさん
競争は、人間の生にプラスに働く限りにおいて有効ですが、現代社会は、競争を原理にまで祀り上げているために、個々人にとっても人間全体にとってもマイナスに働くことが多いですね。
また、ノーベルの思いとは異なるものに変質したノーベル賞は、それ自体の自己目的化を招いています。本末転倒ですが、競争を原理とする歪んだ精神がもたらす悲劇です。