思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

昨日10.23の土肥元校長と佐高信さんの面白トークショー(東大農学部)

2010-10-24 | 教育

昨日、午後2時より4時まで、東大農学部において、元・都立三鷹高校の校長、土肥信雄さんと、評論家で『週刊金曜日』の編集委員の佐高信さんの対談がありました。

土肥信雄さんの本を出すための佐高信さんとの対談を公開で行ったです。土肥さんは、教職員の自由な議論を禁止する通達を出した東京都教育委員会と裁判闘争をしています。

軽口や冗談が飛び交う対談はとても面白く、有意義な会でした。会場はしばしば笑い包まれましたが、シリアスな話題もエロースに変えるのは、生徒と共に生きた土肥さんの人柄と、場馴れした佐高さんの話術の力です。

わたしは、白樺同人と高校&大学生の6名で参加しました。東大、とくに農学部、それと地震研究所と三四郎池は、わたしの幼いころからの遊び場でしたので、懐かしく楽しく過ごせました。わたしの中学は、農学部の向かいの文京第六中学校(最近になって知りましたが小沢一郎さんも同窓生)ですので、白樺のみなさんに教えました。最後は、根津神社近くの甘味処でゆっくりお茶タイム!

なお、対談の中身ですが、佐高さんの話しの内容で、ひとつ間違いがありますので、記します。

思想的なことですが、佐高さんは、現実の社会は『日本国憲法』通りではないと繰り返し述べ、学校の教師は、生徒に幻想を与えることがないようにと諌める発言をしました。これは、憲法の理想と現実は異なるという話ですが、憲法とは、元来、理想を記したものではないのです。

『日本憲法』は、近代民主主義という思想の原理に則り、それを理念的具体として叙述したものです。主権者の意思の代行者である政治家と公務員は、どのような【原理】に基づいて国家を運営していかなければならないか、を記したもの(主権者が為政者を縛る政治原理)であり、【理想】ではありません。

コメント欄のつよしさんにもお答えした通り、【理想】と【原理】とはまったく異なる概念ですが、しばしば混同されがちです。この混同は、極めて危険で、ひどい間違いを導いてしまいますので、要注意!です。



武田康弘

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日本軍は何人の中国人を殺したのでしょうか?―あまりに膨大な数で・・・

2010-10-24 | 社会思想

なぜ、近現代史の最大の出来事について、教えないのでしょうか?
15年戦争で、日本軍(天皇の軍隊なので「皇軍」と呼ばれた)は、中国人を中心にして、何人を殺したのか?

ナチスドイツのユダヤ人大量虐殺をはるかに超える人数ですが、中学生も高校生も大学生も、ほとんど誰もそれを知りません。

ところで、大人であるあなたは知っていますか?

単純な事実、極めて重大な事実さえ教えない、知ろうとしないわが日本人とは何なのか?これでは何も言えないと思います。


武田康弘


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よしくんぱっと2010年10月24日 11:48

私は大人ですが、知りませんでした。

単純な事実とは思えません。

そもそも、当事、中国人が何人いたかは誰にもわからないのでは?そのなかから“15年戦争”の間に何人死んだのかもわからないのでは?そして、そのうち日本軍に殺されたのが何人かもわからないのでは?

統計的な数字は出ているのでしょうけれども、それも日本側と中国側とでは相当な開きがあるのでは?

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C-moon 2010年10月24日 14:04

12月8日になると、mixi日記にジョン・レノンへの追悼の文章がたくさん掲載されます。僕もその一人です。同時に太平洋戦争への反省の言葉も掲載されます。二度とあのような戦争を起こしてはならないと。
中には、第二次大戦が始まった日という認識の人もいて、実際そう書いている人もいて思わず突っ込みたくなるのですが、これも近現代史を疎かにしてきた教育の罪だと思いスルーしていますが……

太平洋戦争の被害と加害については、概ねほとんどの人が認識しており、沖縄戦、本土空襲、原爆による被害者という認識が、太平洋戦争(日米戦争)の認識度を高めている、それ以前の中国への加害者としての認識は圧倒的に不足している現実が、12月8日になると俄かにクローズアップされることに気付きます。12月8日は僕にとってそんな日でもあるんですね。たいていの人は「あの戦争」と言えば、太平洋戦争に帰結してしまいます。

ですから”15年戦争”という言葉に込められた反省と加害者認識が大きく後退していて、15年戦争という言葉自体が埋もれてしまっていることに、危機感を覚えます。
満州事変(柳条湖事件)に発する15年戦争を国民が認識しなければ、近現代史のまともな歴史観など生まれようがないし、日中間、アジアとのまともな友好関係も生まれて来ようはずがないと思います。

太平洋戦争について「なぜあのような無謀な戦争を引き起こしてしまったのか」という根は、ABCDラインやハル・ノートにあるのではなく、中国への日本の侵略にあるわけで、満州事変こそ、愚かな戦争の起点だったと認識しなければならず、15年戦争という言葉を色褪せさせてはならないし、満州事変、日中戦争の中国人被害者、1000万人とも2000万人とも言われる、太平洋戦争での日本人被害者と桁違いな犠牲者を日本軍が生みだしてしまったことは、しっかり肝に命ずるべきだと思います。

中国人犠牲者の人数は、今後も見いだすことは難しいと思います。戦後徹底的に追及されているナチス・ドイツによるホロコーストでさえ、600万人から1000万人という範囲の中に諸説があり、特定に至りません。
正確な犠牲者数も大切なことですが、「1000万人とも2000万人とも……」というあまりにも膨大な犠牲者数を直視すべきであり、中国の発表がどうの、日本の発表がこうのという、”どうのこうろ論”に帰結することは、実態と本質が見えなくなってしまい非常に危ういと思います。

誰が、どこで、人を殺す手段を行使したのか……

このシンプルな着眼点に主眼を置いていさえすれば、自ずとその実態と本質が明らかになると思います。すべての戦争においてです。イラク戦争を見れば明らかです。

仰るように、近現代史の教育はとても大切です。できることなら、単独の科目として中学か高校で、あるいは両方で、少なくとも半年くらいしっかり行ってほしいと思います。

僕は本多勝一さんの『中国の旅』を読んで目を開かされました。学校では皆無でした。


それから……僕は自分の日記欄に政治の問題、近現代史について書こうとすると、どうも思うように進みません。しかし、タケセンさんの文章を読ませていただいた後は、コメント欄にスラスラと思いが書けるんですね。
僕は自分の日記欄に書く文章にしても、政治記事や社会問題記事の日記へのコメントを寄せる場合、いったんワードに書いてから、掲載しているんですが――それほど考えなければ書けないのです――タケセンさんへのコメントだけはダイレクトに書けるのです。

この現象は、タケセンさんが、タケセンさんの文章が、僕の中にある蓋みたいなものを開けてくれて、そこにあるものを引き出してくれる。そのように感じるのです……

ですから、いつも感謝しています♪

武井繁明

コメント (1)
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