思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「原理」とは何か? 理想と原理はまったく異なる概念です。相対主義と原理主義の不毛。

2010-10-25 | 恋知(哲学)

昨日のブログにも書きましたが、「原理」ということの意味について少し説明してみようと思います。

どうも原理的思考が分からず、嫌う人が、思想や哲学関係の学者にまで多いために、思想的な軽重を問わない相対主義が横行して、知識量を競う哲学という概念矛盾まで引き起こしているからです。

物理学の基礎ですが、ガリレオの「落体の法則」があります。中学で習う誰でも知っている法則で、その第一法則は、物が落ちるスピードは、質量には関係しないというものです。これは、アリストテレスの間違え(権威とは恐ろしいもので、こんな簡明なことが2000年もの間信じられてきたのです!)を正したのですが、橋の上から石を落せば、すぐに分かります。

もちろん、石と紙ならば、紙は空気抵抗が大きく、ひらひらゆっくり落ちます。落体の法則は物理法則ですから、空気抵抗は除外して考えるわけです。これが物理における落体の「原理」です。

社会思想においても、この原理にあたるものがあります。われわれの生きる近代市民社会においては、主権はそこに住む人々に同等に与えられるもの=個人の対等性と自由の相互承認という思想が原理になるわけです。原理とは、土台となる思想・大元の思想・鍵となる思想のことで、種々のイデオロギーや個々の宗教とは違います。

ここで注意しなければいけないのは、原理とは、観念が思い描く理想ではないということです。理想の世界という発想ではなく、そこを立脚点にしなければ現実を支えることができない根源的な思想、それを原理と呼びます。物理学における落体の法則と似たものです。

ただし、現実の社会においては、空気抵抗があるので、原理からの立ち上げがうまくいかない場合があります。
原理を知らずに混沌として右往左往するのは愚かですが、さまざまな条件を無視して、すべて原理から立ち上げることができると考えるのもまた愚かです。前者は相対主義、後者は原理主義と呼ばれます。

人間の非条理性をよく弁えないと、理論信仰(硬直論理)に陥りますし、原理的思考を知らないと、実感信仰(感情論理)に陥る、というわけです。


武田康弘
コメント
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