思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

サンデル教授の白熱とストリップー金融商品に続き再びアメリカ発の大混乱

2010-10-13 | 恋知(哲学)
 
わたしは、ストリップショーは、とても人間的な文化だと思いますが、それは、二次化された「性」の世界であって、いうまでもなく、実人生の恋愛における「性」の世界とは次元を異にします。もし、これを同次元のものと勘違いするなら、愚かとしか言えません。

 言論ゲームや言論ショーも、これとまったく同じで、それが二次化された見世物であることを自覚していれば何の問題もありませんが、それを実人生の現実における思考だと捉えれば、馬鹿げた話にしかなりません。

サンデル教授の授業はもちろん前者であり、哲学ではなく、言論ショーですが、これを、実人生という現実世界の思考だと思わせるサンデル教授自身と、それに取り込まれている大学人、大マスコミであるNHKや出版社は、大きな罪を犯していることになります。

 ソクラテスの問答的思考法とは、「何がほんとうの善美か」を目がけた実人生における思考です。当時隆盛を極めていたソフィストたちの言論術(言論ゲーム・言論ショー)を批判し、言葉をそのように用いてはいけない、と警鐘を鳴らし、彼らと討論したのですが、それによりソクラテスは訴えられて死刑(500名以上の陪審員による民主的裁判)になったのです。

 そのソフィストたちとの討論(問答)の模様は、プラトンが『ソクラテスの対話編』として書き残していて、いまなお恋知(哲学)の古典中の古典として世界中で読み継がれています。日本版は岩波書店から全13巻の全集が出ています。ソフィストたちは、煽情的に言論を用い、次元を混同させた論理を用い、小さな世界でしか言えない話を全体にあてはめて思考を混乱させ(「形式論理」の次元を超えた使用)、彼ら好みの結論なき結論に導いたのです。ストリッパーの煽情的な性的刺激と同じことを、言葉を用いて行ったわけです。お金と地位を得るために。

 サンデル教授が、難破船における極限状態を例にして社会思想を語る、というのも同様ですが、そこに学生を登場させて全体を興奮状態にもっていくのは、ある種のストリップショーで、観客を指名して舞台に上げ、興奮を増す手法と同じです(わたしは映画でしか見たことはありませんが)。
 
 哲学における問答とは、沈思に支えられた世界で、落ち着いた深みへの旅(根源的・原理的思考)を共にするものですが、それは、比喩として言えば、実人生における豊かな愛や性の世界であり、ショ―における興奮や煽情とは次元を異にします。

 ハーバード大学や東京大学でのサンデル授業は、それがよくできた「ストリップショー」であるゆえに「白熱教室」になっているのですが、それは、ほんものの哲学とは全く異なる世界です。違いを知らぬまま、あれが哲学的思考だと思い込んだら、大変です。アメリカ発の金融恐慌、誤魔化しの金融商品を巧妙につくりだして、世界中に甚大な被害を与えた経済の大混乱が、思想・哲学・教育の世界で再現されてしまいます。

 足が地に着いたほんものの理性を働かせましょう。


 武田康弘


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